「死ぬ」

頭の中に浮かんで来る、いやむしろ溢れてくると言えばいいのか。自分の意識を越えて唐突に湧いてでる沢山の言葉たちをこうしてメモに書いておこうと思った。
頭の中がとてもぐちゃぐちゃしていて、吐き出す作業が必要だと思ったのだ。
こんな時に何を冷静に文章なんか作ってるんだともう1人の自分は言うけれど、そうしない事にはいられなかったのだ。

「死」というワードにやけに敏感になった。
「死ぬほど好き」とか「死ぬほど腹が痛い」とか。
冗談で「死ぬ~」なんて言ったり言われたりしても、ピクっと頭の中のどこかが反応している。
認めたくは無いし、全力で否定したいのだけど、確かに傍に、ほんの近くに、「死」がチラチラと顔を覗かせて静かに息をしている。
「死ぬのは怖い」という言葉で表現するよりも、死ぬのは怖い。うまく伝えられないけど(そもそもこれは誰に伝えようとしているのだろう)。
漠然としたものではなく、リアリティのある「死」は、こんなにもおそろしいのだと思った。

しょうもない、その場だけの笑いのためにだったり、何気ないことで「死ね」と口に出した事がある。きっと誰もがある。
もちろん安易に使っていい言葉と思ってはいないけれど、汚い言葉を発していないと精神が保てない時もおそらくある。気持ちは、分かる。

でもやはり言っていい冗談と、そうでないものはある。

父が敬愛する長渕剛が「己」という曲の中で

許せることと
許せないことがある
そして許しちゃいけないことがある

と歌っている。しわがれた声で絞り出すように、怒りを必死で抑えるように。

「死ね」という言葉で僕が笑えることが、これから先あるのだろうか。少なくとも、笑えないうちは「死」というワードを簡単に使わないようにしよう、と決めた。
笑えないなら、クソだ。

「だからかたがつくまで口を慎みましょう
俺は生まれて初めて本気で怒ってるのだから」

2018.2.27

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