案山子。

「たまにはゆず以外の音楽も聴けよ」

自室でひとり、毎日毎日ゆずを聴き、ギターを弾いていた僕に父が放った言葉である。
父が青春時代を過ごした60年代、70年代はイギリスのリヴァプール出身の四人組が世界を賑わせていた、あの頃だ。あの頃の音楽にはロックミュージックの黎明と成長があった。数多のバンドやミュージシャンが現れていたあの時代。日本でもその流れを受けたバンドや音楽が流通していた。

その一方で、フォークソングというジャンルも大変賑わっていたそうだ。
フォークギターを抱え、耳に入りやすいメロディと優しい声で、恋や愛を歌ったり、時には社会風刺なんかをしたりしていた。(今ではそんなアーティストがめっきり減ってしまって少し寂しいと思うこともある)

父は、フォークソングに取り憑かれた。
ロックバンドではなく、ギター一本抱えて己の身一つで表現する、出来るフォークソングの方が、ガキ大将気質の父にはちょうど良かったのではないかと想像する。
もちろんフォークソングにもグループはあった。あったしそれらも大好きだったのだろうけど、父がもっと好んで聴いていたのは長渕剛や井上陽水といったソロミュージシャンが多かったように思う。特に長渕剛への愛情はひとしおで、今で言う「オタク」レベルに様々なことに詳しい。
彼がリリースした音源はもちろん、出演したドラマや映画も全て観ているし、ライブにも何度も足を運んでいる。(桜島や富士山のオールナイトイベントにも当たり前のように参加した)

だから今思えば「いや父さんだって長渕剛しか聴いてないじゃないか」と反論も出来るのだけど(ほんとにそれくらい長渕剛を聴いていた)、当時の僕には父の言葉がやけに響いた。
それから少しずつ様々な音楽を聴くようになり、高校生の時にバンドを組んだりもした。
僕の音楽への新しい扉を開いてくれたのは、紛れもなく父の言葉だったのだ。

僕が音楽の専門学校に通うために北九州に1人住んでいる時、ある日父はひょんなタイミングでさだまさしの「案山子」という曲を聴き、号泣したそうだ。
「案山子」という曲は、親が故郷を離れた子供を思う歌だ。父が最初にこの曲を聴いたとき、その歌は「子供目線」で響いた。そうか、親はこんな風に思うんだと深く理解して、おそらく、泣いたのだろう。
しかしその時は別だった。今度は「親目線」で「案山子」という曲が入って来たのだ。

元気でいるか
街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか
お金はあるか
今度いつ帰る

ほんとうに偶然なのだけれど、僕もちょうど同じ頃にこの曲を聴いた。初めて。
「松本人志 高須光聖の放送室」というラジオ番組で流れたのだ。その偶然に驚いた覚えがある。

その頃、僕は父と話すよりも母と話すことが多かった。電話で、だけど。
父と息子というのはそんなものだと思う。なんだか照れくささがある。
だけどその「案山子」の話は、母ではなく父と話した記憶がある。
「さだまさしの案山子っちゅう曲があるとさ」なんて言い方だったかな。

父が「親目線」で聴いた「案山子」に涙を流したのは、紛れもなく僕に対する愛情であったのだと思う。僕は、その事がとても嬉しかった。

地元に戻り、2014年からは父と母と僕との3人で働くことになる。
それから今まで、きっと子供の頃よりも僕は父と沢山話をした。くだらないことも真面目なことも。よく笑った。沢山笑った。僕らは音楽もだけど、笑うことも大好きだった。

僕がいつか子供を持つ親になり、その子供が僕の元を離れた時には「案山子」を聴きたいなと思っている。そして(おそらく)号泣したら、その事を父に話したいな、と思う。いや、是非話をさせて欲しい。
「泣いたよ、案山子。」って言いたい。言いたい。

その時父は笑ってくれるだろうか。「そやろ」と笑みをたたえて言ってくれたらいいな。
そんな未来が、どうか訪れてくれますように。
泣いたことを、笑って話が出来ますように。

2018.2.28

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syozopanda

茂みに実る。

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