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当たり前を疑え

それは当たり前だ、、、とか

普通〇〇だよ、、とか

〇〇が常識だよ、、とか


くだらない。

本当にくだらない。

その考えに、縛られ過ぎて

人生を消費、浪費している方

本当にもったいない。


若気のいたり、ではなく

社会に対しての不満や批判、

でもない。

純粋に、自分の可能性を消滅させている


そのことについて

システマを通して、今回は書きたい。


当たり前、常識的にと、口にする人は

多くの場合、何も考えてない。


と、いうよりも

その当たり前や常識自体について

考えようともしてない。


これが大きなポイントで、

これまでの人生で学んできたことや

経験から培ってきたことが

あたかも、全てのように

その常識ありきで歩んでいる。


そこには、当たり前、常識の

基本となる「ものさし」自体の

見直し、再定義もしないまま

ただ、狭い枠の中で、進み続ける。


少し、考えて欲しい。

あなた自身を構成している

当たり前や常識、

思考、生き方、考え方は

一体、何なのか?

そして、

それを破壊する勇気はあるか?


もちろん、破壊といっても

悪いことをしろといっているこではなく

これまで、なんとなく、すがってきた

自分の常識を手放せるか?


もし、変える必要がない。

と、思っている人がいるなら

あなたは、最初に提示した

当たり前を見直さない、ただのバカだ。


当たり前、常識は

いつ、できたものか?

何十年も前か?昭和時代か?


過去の時代の「当たり前の定義」を

現代で最適化しようとするから

おかしなことになる。噛み合わない。

無理なことに、力を注がない。


根本的な問題解決法が違う。


過去の定義を最適化するのではなく、

過去の定義を、見直す必要がある。


システマのトレーニングでも

例えば、相手に腕を掴まれている

そんな状況をイメージして欲しい。


相手に腕を掴まれることで

無意識に、

自分が硬くなり、自由度が減る。

その緊張に対しての

反応や動きになってしまう。


当たり前を見直そう。


腕を掴まれたことで、

自分が硬く反応する必要があるか?

本当に、自分に自由度は減ったか?

もっと言えば


本当腕は掴まれているか?

触れているだけではないか?

意識的でなくとも、

硬くなる、緊張するという

無意識レベルで、選択をしている。


「当たり前を疑え」

その反応、誰が作っているか?

何故、そうした反応になるのか?

自分自身がプログラムした思考で

その反応は生まれ、

それは過去の経験などを元に

無意識に、プログラムされた

思考とマインドのフィルターだ。


当たり前を疑うことは、

その思考やマインドの

プログラムを書き換えることになる。

このプログラムの書き換えが

自分を制限しない、開放である。


まずは、プログラムが

自分自身に、制限をかけていることに

気づくべきだ。

そして、思考プログラムを

書き換えることができれば

あなたのパフォーマンスは高まるだろう。


制限からの解放

本当の意味で、自由になれる。


最後に、もう一度問うべきだ。

当たり前を手放す勇気はあるか?

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