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自分を好きなのか、諦めているのか。

内容と無関係なヘッダー。
犠牲になるなんでもないフリー素材な思い出。




20歳くらいの時、主に見た目で、自分の嫌いなところがたくさんあった。

背が高いのも、
関節が太いのも、
痩せても足が細くならないのも、
声が低いのも、

おおよそ私を構成してるイメージのほとんどが、私にとってはコンプレックスでしかたなくて、嫌いだった。

でもなんだかある日突然
「背が低くなって、足が細くなって、声が高くなっても、私という個体としてはつまらないのかもな。」
「まあこれでもそれなりに楽しいか。」
って思うようになった。

ずっとそれを、自分を好きになったんだと思っていた。

でもこないだ(ラゾーナのエスカレーターで)突然、
「これは自分を好きになったんじゃなくて、自分に期待することを辞めたんじゃないか。」
ってのが頭をよぎった。

(だって私だもんな。しかたない。)
そう思って、あらゆる悔しさを捨ててしまうことだけは異常に得意。

たぶんだけど、
まあこれはこれでいいじゃんか、って気持ちも、
どうせ、って諦めてる気持ちも、
どちらも本当の気持ちだとは思う。

良いことでも悪いことでもない。

心は難しいね。

今は死にたいわけでは無いと言い切れる。
ただ、生きることに対する絶望が日々色んな形で襲ってくる。

絶望しても、退屈でも、生きようとは思う。
(私の夢は54歳になることで、その次の夢は70歳になることだから。)
けど出来れば救われたい。

人を消費だけして生きていくのは、とても居心地がわるい。

描きたい、踊りたい、歌いたい、聞きたい、浮かびたい。
色んな欲求が沸いてくるけど、どれも取りかかると
「それで私はどうなりたいんだろう。私の癖におこがましい。」
ってよぎってしまって、ぜんぶ退屈の中に溶けてしまう。


うー、まとまらない。書くのをやめる。

↑こうやって、かっこつかなくても気分でぶったぎれる所は、自分で嫌いじゃない。
でもそれも怠慢なのか。怠慢に開き直っているという事のか。

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