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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ 勇気ある戦い

ひとりぼっちの宇宙人 2021─2022版
─シューチョの『ウルトラセブン』視聴記─
第38話「勇気ある戦い」[B]

本話は、『ウルトラセブン』全編中最も異色の挿話といってよいでしょう。そのストーリー展開は、お世辞にもうまく行っているとは言えないように思います…。が、「全編中最も異色」というのは、ストーリーがほころんでいることを指して(だけ)いうのではなく、マイナスの意味で最も“『ウルトラセブン』らしくない挿話”という意味を込めています。ともかく本話では、《ダンのダン性》《ダンのセブン性》《セブンのダン性》の3つが、まったく独自の表れ方で表れ出ます。…そうか、その意味ではやはり“『ウルトラセブン』らしい”のか…という反転?

まずは、難病の手術を受けるのを怖がる少年オサムをダンが諭すときの台詞を見てみましょう。

「オサムくん、ウルトラ警備隊のことは知ってるかい。われわれは、地球を脅かす宇宙人と戦っている。オサムくん、ウルトラ警備隊が、どうしてあんなすばらしい戦いができるか、わかるかい。それはねえ、われわれのすべてが、人間の作った科学の力を信じているからだ。小さなネジ一つ、メーター一つにも、人間の造った最高の科学が活かされている。そう信じているからこそ、ウルトラ警備隊はあんなに勇敢に戦えるんだ。わかるね。信じるんだ、オサムくんも。人間の科学は、人間を幸せにするためにあるんだと。いいね、わかってくれるね」

医学も広く科学として捉えた上で、「われわれ」ウルトラ警備隊が科学を信じるように、君も医者の先生の手術の成功を信じなさい、その勇気を持ちなさい、という主旨でしょう。ダン=セブンが「われわれ」を主語にして「人間の」科学を最高と讃えている。ここにはまず素直に《ダンのダン性》が表出されています。ダン=セブンはダンの姿のとき、このように人間の一人として語り得るということです。が、同時にこれを《ダンのセブン性》の表出と見て取ることもできますね。ほんとうは宇宙人であるダンが、人間の科学の力の貴さ・価値について理解している、そのことの表明である、というわけです。

けれども、少年をこんな風に説教くさく諭すというのは、ダンのキャラクターとしてはやはり違和感があります。同じ「諭す台詞」でも、第8話でのキュラソ脱獄囚へ向けた言葉にはセブン性を伴った必然性が感じられましたが、本話の上記台詞は唐突に過ぎます。ダンにも様々な顔があることは他の挿話で見て来れましたし、18話・29話等でのアマギの性格の両義性についても触れ、『ウルトラセブン』では登場人物が安易なキャラ設定に乗ってはいないから良い、と述べてきました。が、上記の台詞は、「なるほどダンなら言いそうな言葉」でもなく「ダンとしては(いい意味で)意外な言葉」でもなく、単に、「作者が考えついたメッセージを主人公の口から言わせた」という風に見えてしまい、作品世界を深め広げる向きにはなっていないように思えます。「アンヌの頼みを渋々聞いて苦手な説教をがんばってした」という解釈も成り立たないではありませんが…。

その後、ダンは、バンダ星人のロボット・クレージーゴンの攻撃による瓦礫をもろに受け負傷するも、その体を押して、治療を勧める周囲を振り切り、手術直前のオサムを訪ねるのです。ダンの声かけに「ダン…」と応えるオサム。ということは、このときオサムは、すでに麻酔で朦朧としてはいてもダンが来たことには気づいていたとみるべきでしょう。病室を出たダンはオサムの姉・ユキコにも「手当を受けて下さい」と言われますが、

「いや、僕の傷のために来たと、オサムくんに思われたくないんです」

と拒みます。? いったいまたどうして? オサムは、ダンが来たことには気づいたとしても、すぐに麻酔で眠ったでしょう。その後ダンが自分の傷を手当するかしないか、知りえるはずがありませんね。そして、麻酔が効く前に何か感情を持てたとしてもそれは「ダンさんが(遅かったけれども)来てくれた」という(トータルでは)嬉しい気持ちの方でしょう。あるいは別の言い方をすれば、オサムは、自分が手術を受け、まさに自らの生命の危機と闘っているのであり、他人の手当に気を向ける余裕などないはずです。つまりこのダンの台詞はあくまでただ自分の気持ちの処理を言っているに過ぎません。……『闇に光る目』で人類とアンノンを冷静に調停し『超兵器R1号』で葛藤・苦悩したあのダン=セブンが、こんな薄い(しかも自分本位の)精神論の言葉を吐くでしょうか。それはあまりに「人間的」に過ぎます。ダン=セブンが立ち向かっているのは、何より宇宙人による人類と地球への侵略の現実であり、人類による宇宙への侵略の現実です。それらに対して、二重性の襞を伴った頭と心で深く思考し決断し行動する。それがモロボシダンです。そのダンがこのように、自分の心の中のことでうじうじ唸るのはいかに何でも似つかわしくないでしょう。ただ、ダンが「心の中でうじうじ唸る」というのは、最終話のモノローグにおいても実現していて、そちらはむしろダンの台詞として意味深く感動を誘います。そこでそうなる必然的な流れがあってこそです。それに比べ、本話での「うじうじ」の意義はとても薄いと言わざるをえません。

さて、ストーリー展開に話を戻すと、キリヤマの

「われわれは勝ったんだ。バンダ星人のロボットにも。そして人間の愛と信頼の戦いにも。」

というこの唐突な締めの台詞をみても、本話は、ダンの発話の“ずれ”のみに限らず、『セブン』の作品世界を描くことよりも、作者自らの主張と世界観を押し出して強引にまとめたという感が拭えません……「そこがいいのだ」という見方もあるのかもしれませんが、《ダン=セブンの二重性》を軸に据えた本「視聴記」の観点からは、こう述べることになります。

それでも、その私の観点からも、本話には拾うべき箇所が確かにあります。

まず、作戦室でダンが写真を見て思わず「これは、バンダ星人の宇宙ステーションじゃないか!」と思わず口走るの台詞およびその後のモノローグは《ダンのセブン性》が表れる定型ですね。ただし、口走ってしまって「おまえ何でそのことを知っているんだ」とつっこまれる流れになっているのは、まさに以前「プロジェクト・ブルー」の項で書いた、「一般」によくある「フィクションの不活性表出」の例で、それが『セブン』にもあったということになります…。以下に自己引用しておきます。

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『ウルトラセブン』において「ダンがセブンであること」は他の登場人物には秘密です。一般には例えば「秘密について主人公の口がすべって相手に気づかれかけ、焦ってごまかす(そこで、せいぜい何か気の利いた台詞が言われるetc.)」という展開が、こういう「主人公の秘密」という要素の作中での表出としてはありがちです。これは「フィクションの不活性表出」の代表例です。
[……]
「秘密」が顕在化しそうになって「焦ってごまかす」…といったシナリオ展開は、「秘密」を目的語とする「明かす」(「守る」でも同様)という動詞にまつわる直結的直接的展開です。そこでの「気の利いた台詞etc.」の質/度合いによってそれが何らかの意味で良いシーンとなる可能性までは否定しませんが、少なくとも「主人公の秘密」が「どんなものであるのか」という固有性とは無関係で、単に秘密でさえあればそれだけで成り立ちえる展開であるといえます。
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「ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ プロジェクト・ブルー」よりhttps://note.com/syu_tyo/n/n3d4fdc6912a4?magazine_key=m9f61198f01ff

次に、必殺技の独自性が挙げられます。ダン=セブンは、負傷したままで変身するも、エメリウム光線もアイスラッガーも効かないクレージーゴンに苦しみます。普通に向かったのでは勝機が無いと判断したセブンは、ミクロ化してフルハシの持つエレクトロ・H・ガンの中に入り、自らを砲弾に仕立てて発砲を受け、巨大化しながら体当たりし、やっとのことでクレージーゴンを仕留めます。「一度目のファイトで負傷しているため、他力にも頼った」という展開もうまいですね。また、これがウルトラマンタロウのウルトラダイナマイトの萌芽になったと見て間違いないでしょう。

三つ目は、アンヌの描写でしょう。ユキコとウルトラ警備隊員たちが病院敷地の庭を行くラストシーンで、負傷したダンは車椅子に乗っていて、それをユキコに押してもらっていて、その様子を前方から振り返って見たアンヌが、ソガにからかわれ、いまいましそうにタンポポを吹き散らします。『ティガ』でのダイゴとレナや、『マックス』のカイトとミズキと夏海のようにまでさえ描かない、第1期に特有の、いっさい深追い無しの爽やかな描写。ダンとアンヌの関係を示す描写は、「ダーク・ゾーン」を代表例としてもちろん他の挿話にも散見され、楽しめますが、アンヌの嫉妬心、というより「ちょっとしたやきもち」が表出するのは本話のこの描写だけだったと記憶します。実に軽妙で微笑ましいシーンだと思います。

ところで、本話には最終話との不思議な表層的類似が見出せます。以下に列挙しておきます。これらの中には(おそらく偶発的ではあれ)最終話への伏線とみなすことが可能なものもあるにはあります。が、少なくとも今のところ本話と最終話の内容の関連性が見出せない私としては、「不思議な」という形容に留めておきたいと思います。

まず、音楽について。ダンがオサムを諭すシーンと手術後のオサムとダンのシーンの劇伴音楽は、最終話で上司がセブンを諭すシーンやアンヌとダンの最後の会話のシーンと同じです。また、逃げるオサムをユキコとダンが追いかけるシーンの音楽は、最終話で逃げたダンに気づいてその名を叫んで走るアンヌのシーンと同じです。

次に、ダンが病室を再訪・再々訪するシーンでは、そのダンの負傷の、箇所や深さや苦しみぶりが、最終話(前編のラスト等)のダンを彷彿とさせます。が、最終話では活きてくるそれらのテンションの高さも本話で為されると何だか違和感があり、よけいに奇異に見えてしまいます…。

さらに、変身2回目のセブンが不調でよろめき、やっとのことでエメリウム光線を放ったり、アイスラッガーを跳ね返されたりというのもパンドンとの死闘を想起させます。これはもちろん、ダン=セブンがダンとして負傷したままセブンに変身したからセブンとしても本来の力が出せない…という描写です。《セブンのダン性》の表出と見ることができます。4つの二重性表出のうち最も珍しいのがこの《セブンのダン性》ですが、「ダンの声で喋るセブン」という表れ方以外の形での表出はさらに稀です(→注1)。この逆、つまり、変身後の闘いによるダメージをセブンとして受け、そのダメージがダンに戻ってからも反映・持続する、という描写はよくあります。ガブラ、恐竜戦車、ギエロン…、そしてパンドンとの最初の闘い。こちらは《ダンのセブン性》といえますね。

注1:後に、《セブンのダン性》の重大な表出がありますね。それはまたそのときに…。

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