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別に好きなことで生きていきたいわけじゃない

消去法の人生

大学を卒業して、就職せずにフリーライターをやっている。そんな私を人は、「フリーライターになりたいから就職しなかった」と解釈したりするらしい。

「好きなことで、生きていく」「やりたいことをやる」

そんな仕事観で私が生きていると思ったら大間違いだ。

私は普通の会社員になりたかった。というか今でもなりたいし、一応就職活動も続けている。
では、なぜこうなってしまっているかというと(この辺の経緯は後々詳しく書こうと思う)、普通の会社員に向いていないからだ。
どう向いていないかをちゃんと説明しようとすると長い上に重くなってしまうので、手短かに言うとすれば、この前研修で不採用になったバイト先に言われた「コミュニケーション能力の低さと作業スピードの遅さ」という理由を借りるのがわかりやすいだろうか。
あとは、大学時代にやったバイト6つ中4つはクビになり、残り2つは数日で辞めている実績も加えれば説得力が増すだろう。

ここまで読めば気付くかもしれないが、会社員に向いていないというよりは、おそらく、働くこと自体に向いていない。よって、フリーランスに向いているわけでもないし、ライターにも向いているとは言い難い。実際フリーライターをやっていて向いていないと感じることが多々あるが、他に向いている仕事があるとも思えないし、ありがたいことに仕事をくれる人がいるので、続けている。

消去法の人生なのだ。

進学せず、就職せず、大学を辞めて、会社を辞めて、◯◯をやっている。
いわゆる「レールから外れた」生き方をしている人が、それを積極的に選んだと何の疑問も無く解釈できる人は、どれだけ人生の選択肢が多かったのだろう。いろんなことを諦めて、いろんな覚悟を背負って選んだかもしれない他人の生き方を揶揄できる人は、どんな人生を歩んできたのだろう。

かくいう私も、2年前、カウンセラーに「普通の会社員をやっていくのは難しいんじゃないか」と言われるまでは、そういう人たちは自分の仕事を積極的に選ぶものだと思っていた。
自分のできることが思っていたより少ないことを知った時、初めて、消去法の人生、それも消去した結果ほとんど選択肢が残らない人生を想像したのだ。
例えばミュージシャンや小説家、役者など、芸術系の仕事を選ぶ人は、それがやりたいからというより、それしかできないからそれを選ぶ人も多いのではないか。そう私が言うと、「そう思いますよ。絶対普通に働けないだろうなっていう感じの芸術系の人とか結構いますよね」とカウンセラーは言った。
実際に私の周りにも、それしかできないからという理由で音楽をやっている人や小説を書いている人たちがいる。売れるとか売れないとかじゃなくて、これしかできないから、と。
私もどちらかというと彼らと同じ側なのだと思った。これを受け入れるには少し時間がかかった。

私の人生には、消去法で最終的に何が残るのかはまだわからない。この先ライターも消えてしまうかもしれないし、何も残らないのではないかと不安になることもある。

それでも私は私でしかないし、生きていかなければならないし、できることをやるしかない。そして自分の人生を愛したい。たとえ消去法の人生でも。

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