春雷  (一)

 春が来た。

 雷鳴を轟かせながら降下してくる雷鳥達が月あかりに照らされて白銀の翼をはためかせた。月世界との交易が始まって5年。八ツ代ノ岳(ヤツシロノタケ)は二星間の貿易拠点として陽春の候、精華なる狂乱の様相を呈していた。月世界と交流があるのは2月〜4月の薄桃色をした空気の日に限られており、従って今日のようにうららな夜は次々と、その澄み切った空気を引き裂いて天の雷鳥が舞い降りる。

 ここ八ツ代ノ岳には春の訪れと共に蠢きだすものが3つある。まず先に挙げた巨雷鳥の襲来。次に陽気に導かれ地中から這い出す有象無象の虫達。そして最後に大学生だ。八ツ代ノ岳はその名の通り山上にありながら、新たなる交易国(いや、交易星か?)・月の文化をいち早く取り込まんとして大学と寮を多く備えている。未開の地への興味も尽きず研究機関も多い。学生らは、そのちっぽけな体に将来への期待と憧れとをギュウギュウに詰め込んでは、産卵間際の虫のようにはち切れそうな体をしてわらわらわらわは我こそはと駅から延々に湧き出してくるのである。

 みな虫とおんなじくらいに見分けがつかない似たり寄ったりの風貌だし、虫眼鏡で拡大してみればその殆ど全員の顔に「新入生です!」と同じ文言が示されている為に尚更見分けがつけられない。しかし「新入生です!」という顔は即ち初々しく輝きに満ちており、どんなに似たり寄ったりでもお日様の下を這う艶々の天道虫と同じくらいには精一杯生きているらしいことがわかる。

 昼から続く新入生らの行進だが、夜は移動手段に金をかけない鈍行組の到着で溢れかえった。本当に特急に乗る余裕の無い者からこれだけ長い道のりになるなら多少高いチケットを購入しておけば良かったと後悔するものまで、一様に変わらないのはその疲弊ぶりだ。なにせ八ツ代ノ岳は首都から36時間もかかるのだ。八ツ代ノ岳の場所は隠匿されており、乗車中に窓の外を覗き見ることはできない。国のどの辺りに位置するのか、地図だって出てはこない。首都からほど近いのに敢えて回り道をしているのだという噂、36時間みっちりと海山を超えて移動しており別世界のようなものなのだという噂、誰の撒き散らしたやもしれぬ街談巷説が息を絶えない。

 そうした巷話、四方山話があらゆる路上で華を咲かす。

 学生らに加えて交易に来た商人ら、人の集まるところには必ず付いて回る飲食店の従事者、宿泊業の従事者、そして恐らく娼婦らも。また、査察に来た政府高官と思しき身なりの者、間断なく降下飛翔を繰り返す白銀の雷鳥らで、八ツ代ノ岳の街は宵とも思えぬ盛況ぶりを見せていた。

 どこも新設されたばかりのこの街は作りとしては上品で、それに被さる月のベールが清廉さを添えている。普段の夜なら神聖な雰囲気さえ漂う。此処は山の中なのだ。
 市内の移動は効率化されたパス(バスではない。1人乗りの電車のような繭玉だ)で整備されており車の排気など無く、水も空気も澄み切っている。だというのに、今宵一気に膨張した人口の熱量が空気を揺さぶって、まるで狂乱の最中にいるような錯覚を抱く。例えるなら、そう──今宵は祭りにでも似ているかもしれない。

 さて、その中に1人、どうもその活気から取り残されて途方に暮れているような男子学生を見つけられるか。冴えない風貌に冴えない銀縁眼鏡をかけ、目を細めてみたり見開いてみたりキョロキョロキョロキョロと所在なさげにあたりを見回している。地図を見つめてはふらふらふらふらとあっちへ行きこっちへ行き。人へ道を聞こうにも口を出目金かメダカのようにパクパクさせるばかりで声を出さず、誰一人捕まえられない。駅員や警察官の周りをうろついてみても近づいたり離れたり結局声をかけられない。男子学生はどうやら所在だけでなく自信もあまりないようだ。

 しかしそれもそのはず、周囲の学生達の初めてが八ツ代ノ岳の街なら、彼は地球に来るの自体が初めてなのだから。彼は月世界の、うららかで美しく栄えているとこの街の誰もが思っている月世界の中の──ド田舎から来たのだ。

 地球人の想像する月世界と全く違って、彼の故郷は一面不毛の地。いつから立っているかもわからない売地の看板が彼の実家の目と鼻の先に転がっておりそれを眺めて育ってきた。発達した機械もなければ高値で取引される月織の職人もいない。商業施設もないし文化も政治も何一つ中心じゃない。取り柄ゼロみたいな辺境の田舎町から来たのだ。

 「地球の大学へ行きたい」と話した時には両親から猛烈な反対を食らったが彼は頑として譲らなかった。俺は絶対に地球へ行く! なんで地球なの! 月の市街でいいじゃない! 嫌だ! 俺のような田舎者は馬鹿にされるに違いない! 毎晩見上げた青い地球へ行きたいのだ!
 説得には相当な骨が折れたもののなんだかんだ彼を大切に思う彼の両親は最終的に降参した。彼のあまりの頑なさに。しかし月のド田舎は物価が安い。地球でバイトした方がよほど学費が賄える。かくして青年はめでたくこの八ツ代ノ岳の地へ降り立った。10歳の時に月の地中から見つけた石版、彼が地球に拘った本当の理由であるそれを、何より大切そうにトランクの中へ仕舞い込んで。

(続)

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