星の欠落

「全然気づかなかった。」
女の子は、悄然と呟いて洞窟の地面を見つめた。そこにはボロボロに引き裂かれてしまった影があった。ランタンの灯に照らされてゆらゆら揺れ動いている。
氷の世界、炎の世界、土の世界、空の世界と女の子は無謀な冒険をしてきて、それでもまだ足りずに地下洞窟の世界に乗り込んだところだった。沢山ある世界達の中でも一等危険と言われる所。
無謀な彼女を『怖いものなしのジョバンニ』みたいに巨大な影が襲う。それを助けてくれたのが君だった。でもあろうことか、女の子は君のことなんてすっかり忘れていたのだ。

雲の世界で生まれた女の子はふわふわの産着にくるまれながら、こんな極上のわたを産んだ星達のことを考えていた。星達は毎夜毎夜、ちかちかと苦しみながらわたを量産する。自分たちの、けして綺麗なだけではない星座の物語が地上の動物たちに毎晩さらけ出されるのが苦痛で、今夜こそは見られるまいとふわふわの雲を量産するのだ。
女の子の国と女の子のふわふわのおくるみと女の子の主食の甘い甘い綿菓子は全部、そんなくもから成り立っていた。
あまくて、ふわふわしていて、眠くなるような……
でも墜落してきた君に出会って、いやなことの一個もない自分の雲の王国が、女の子は心底いやになってしまったのだ。

「どこから来たの?」
はじめて会った星の欠片に、物珍しさから問いかける。
「君の知らないところから」
「私の知らないところってどこ?」
「見ようとしたことのないところさ」
女の子はキョロキョロあたりを見回した。一面真っ白な雲の海。自分を生んだミルクの海。
「そこじゃないよ」
見るに見かねて星のかけらは助け船。僕が来た方向を見てごらん。
どっから来たかしら。ヘンテコな方向から飛んできたよね。それでやっと女の子は上を見た。雲の世界に生きていると視界には横しか存在しなくって、言われないと上とか下とかある事さえも気づかなかったのだ。

星の欠片は女の子と一緒に遥か頭上の宇宙を見上げた。真っ黒くどこまでも広がる宇宙。なんでこんな所から落ちてきたの?なんて疑問を女の子が思い付くのに時間はかからない。
「さあね。雲を産んだり、星達と囁き合ったりするのが疲れちゃったからなのかな。」
気付いたら落ちてきていたから、ほんとのところ理由なんかわかんないんだと、星の欠片はちょっと悲しそうに言った。なんでちょっと悲しそうかってわかるのかって、それは既に星からこぼれた欠片の癖に、もっと小さな欠片の屑を、体からきらきらと崩れ零していたからだった。
女の子は上も下も見えなかったけど、「なにかがこぼれてくる」というのは基本的に悲しいことを指してるんだって直感できるくらいには繊細だった。雲の世界で、雨雲から雨粒がこぼれ落ちるのは悲しいことだった。きっと宇宙からきた星屑でもこれは変わらない、ちいさな悲しみ。

でも少女にはそれがすごく綺麗に見えた。だから、そんな綺麗なかなしみが降ってこない雲の世界を、むしろ悲しみのかけらを他の世界に降り注ぐばかりの、自分ばっかり幸福でいい気になってるだけの真っ白い世界を「汚く」思った。
女の子は雲の上で弱々しく震える星の欠片にそっと雲の布団をかけたかと思いきや、瞬間、雲の世界を逃げ出した。


綺麗なものが正しくて、汚いものが間違い。
一体誰が女の子にそんなことを教えたんだろう。
兎に角、女の子はそれに捉われて、真っ白い世界で生まれた自分を「汚い」と思った。
女の子はなんか、それくらいまでに自分の所属した雲の世界に絶望していたのだ。楽園という名の牢獄。
ふわふわの雲に足をとられてどこにも行けない、一面におなじ景色しか見えない世界。

冒険は無謀だった。雹のナイフと筋雲の繊維の強い服くらいしか用意しないで雲の下に飛び込んだから。
でもそれが望みだった。
女の子にとっては星の欠片の綺麗な涙だけが正義だった。だから、「汚い」世界で生まれた「汚い」自分なんて無謀な旅の中で殺されてしまえばよかったのだ。
自分が殺されれば星の涙が報われるような気がしたんだね。
世の中は正しいって思えるような気がしたんだね。

しかし、なんだかんだ女の子は生き延びてしまった。
それも図らずして色んなものを犠牲にしながらだ。

強いものが正しくて、弱いものが間違い。
一体誰に教わったのかもわからないけれど、今度はこんな考え方が女の子の中を徐々に食んだ。
女の子は「もしかして私って正しいんじゃないかな。生きてていいんじゃないのかな」と思いはじめた。でも、そうすると大っ嫌いな雲の世界を肯定することになっちゃうのだった。

結局なにが正しいのかわからないまま、女の子はより強い危険に身を投じていく。もっともっと、早く死んじゃいたい。早く星の涙だけが美しかったことを証明したい。強いものじゃなくて綺麗なものこそが正しいんだってことをそこにいる誰か、例えば「キミ」とかに見せてやりたい。

まあ要するに女の子は酔っていた。
綺麗なものだけを追い求めていれば綺麗になれるって信じ込んでいたし、ただ追い求めてるだけで「綺麗」そのものじゃないのに、ナルシシストみたいに自分が美しくなったつもりでいたのだ。

結局女の子は、雲の世界も、氷の世界も、炎の世界、土の世界、空の世界も何ひとつ見ちゃいなかったのさ。
世界には平面しか存在しないと思い込んでた頃から変われてなんかいなかったのさ。
そうしていつか、もともとの星の欠片のことなんて忘れて、ただ言い訳しながら自傷に急くだけの代物に成り下がってしまった。
数多の冒険を経て、純粋だった子供の頃の女の子はもういなかった。

✳︎

「ずっとそこに居たなら、教えてほしかったよ」
傍にズタズタの影を放置して、女の子は星の欠片に話しかけた。
星の欠片はそれに答える。
「空から君を守っていたから、一緒には居られなかったんだ」
ジョバンニの影を退治するため空から一直線、洞窟入り口の少女の元まで降ってきた星の欠片はもう虫の息。今にも女の子を襲おうとしていたジョバンニの影をまっぷたつに突き刺して、おあいこのように転がっている。

「ごめんなさい、ごめんなさい。わたし、本当は、君は間違ってるんだよって怒られたかっただけなんだ。」
「君は守られてていいんだよって言われたかっただけなんだ」
「守られてていい?いや、それはちょっと違うや」
「違うや、自分から傷つきにいくなんて間違いだって叱られたかっただけなんだ。誰かに、心から」
「死なないでよ、お願いだから。ねえ」
お願いだから、ねえ、どうして。しかし女の子がいくら願ってももう、星の欠片は言葉を返さない。

世界はイースト菌を入れたのに膨らまなかったパンみたいにふわふわしている。
たとえば世界では往々にして、君のことを一番一生懸命に守ってくれてるような人こそが守りたい人のそばにいられない。
でも横にいてくれない人のことを君は残酷にもあっさり忘れちゃう。
世界が悪いわけでも君が悪いわけでもない。ただこの世界はそういう風にできている。頑張ったからって必ずしも報われることがないように。イースト菌を入れたのに膨らまなかったパンみたいに。

それが世界のシステムだった。どうしようもなくて、不合理で不条理で欠陥品で、かけ間違ったんじゃないかって思うくらい酷い状態で提示されるくせにかけ違ってはいないらしくて、これが正しい組み合わせですって言われるような歯車の噛み合わせが。
そんなシステムや歯車の救いようのなさ、どうしようもなさ、報われなかった人たちのこと、その他それに準ずるあらゆるもの、しかし何よりもそんな歪んで汚い世界のシステムに結局抗えなかった自分自身のことを、女の子は…………

憎んで、悲しんで、嫌って、蔑んで、罵倒して、許せなくて、胸に炎が渦巻いて、体が熱くなって、体が打ち震えて、足がガクガクして、息が荒くなって、息が苦しくなって、死にそうになって、

それでも、愛す。
完全な星の欠陥品である星の欠片の、その弱っちい悲しみを愛せずにいられなかった少女は結局全てを愛す。

✳︎

「全然気付かなかった。」
死んだ影の怪物と星屑を前に、少女は小さく呟いた。
2つを失って初めて、少女は世界の美しさに気づく。よく見てみればこの世界には、汚いものなんて一個もなかった。
大切なものすべてから解き放たれて初めて、女の子はこの世界のことを好きになれたのだった。
そう、自分も含めて。

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