なぜ医学論文を読む必要があるの?~理論と現象…“薬が効くとはどういうことか”についての考察

論文といっても、学問分野によって様々ですが、一般的には十分な論拠をもとにして、主張や証明を行なう、論理的に構成された著作と言えるでしょうか。なんとなく研究者が書いたり読んだりするイメージがあって、一般の人には、馴染みがないものかもしれません。

薬学領域にも論文はありますが、大学院生や研究職など、かなりアカデミックな環境にいる人たちが読むものであって、現場で働いている薬剤師にはあまり縁が無いもの、そんな風に捉えられていることは少なからずあるでしょう。実際、現場で読まれている情報の多くが、薬剤師業務のノウハウをまとめた著作や、薬剤師向けの“学術専門書”、あるいはそれらのWEB情報であって、一次情報である論文ではないように思います。

ところで、薬学領域の論文には大きく、基礎研究論文臨床研究論文があります。論文と言えば、基礎研究論文のことを思い浮かべる薬剤師は多いのではないでしょうか。薬学という学問の基盤をなしているのが生物学や化学、そしてそれを応用した生化学、薬理学、有機化学等であり、こうした基礎学問に関する研究論文は、薬剤の作用メカニズムの解明、あるいは薬剤を合成するための方法論に寄与しうるとても重要な知見ではあります。しかしながら、薬剤師の日常業務にとって、そうした知見が最優先で重要なものだろうか、と問われれば、案外そうでもない、というのが本当のところでしょう。こうした基礎研究論文は研究者などが読み、自身の研究に役立てれば良いわけで、医療現場における実践的な「知」とはなりにくいという意見には説得力があります。少し言い過ぎでしょうか。

でも考えてみてください。基礎研究論文から得られる知見は、学問としての学びはあっても、その知見を実践的に目の前の患者さんに適用していくことは困難でしょう。例えば、血圧降下作用を有するある薬物が、体内でどのように作用して血圧を下げているか、そのメカニズムが解明されたとしましょう。その知見は新たな薬剤開発につながるかもしれませんが、目の前の患者さんに対して、実践的な知見を提供してくれるような情報とは言えないと思います。現場において求められることが多いのは、血圧を下げる薬剤がどのように作用するか、というよりはむしろ、その薬剤でどの程度長生きできるのか、という問題だからです。

臨床研究論文以下、単に論文と書きます)は、薬剤の実際的な効果に関する一次情報とも言えます。こうした論文情報を踏まえて臨床判断を行っていく行動スタイルをEBM(Evidence-based Medicine)呼びます。

この記事では僕が論文と出会い、そしてEBMと出会い、そこから得た衝撃と、なぜ今まで論文に関心が無かったのか、どこに関心があってどこに無かったのか、ということについて”理論”と”現象”という言葉を用いてお話ししたいと思います。やや長ったらしい話かもしれませんが、「なぜ論文を読まないといけないのか」というテーマに関して、その答えのヒントがあるように思います。

理論とか、現象とか、薬剤師としては、日常的に使うような言葉ではないかもしれません。何やら聞きなれない言葉ではありますが、例えば三角形を考えてみてください。三角形の内角の和は180度です。これはユークリッド幾何学の原論に記されている公理であり、どんな三角形についても言えると考えられます。しかしながら、この世界に存在するすべての三角形について内角の和を計算した人がいるでしょうか。また確度を測った分度器の精度は絶対的なものではないかもしれません。ある時は0.1度くらいずれてしまってぴったり180度になるとは限らないでしょう。そもそも三角形を描いている直線は本当に直線なのか、微妙にカーブを描いていないだろうか…など、厳密にすべての三角形の内角の和が正確に180度とはならないことはありうるでしょう。つまり公理から導かれた理論を、僕たちはいくらでも疑うことができます

しかし、それでも僕たちは三角形の内角の和が180度である、という理論は普遍的に妥当するという信念を抱いています。どうでしょうか。僕たちは知らず知らずのうちに、目の前に描かれた三角形の視覚映像という「現象」よりも、「理論」こそが物事の本当の真理であるように考えています。実は薬剤効果についても同様のことが言えるのかもしれません。経験的事実(臨床疫学的な事実=臨床医学論文情報)はあまり重視されず、基礎研究から導出された薬理学理論や薬物動態学的理論、病態生理学理論というような科学理論が思考の中心になっているのではないか…。

さて、前置きが長くなりましたが、まずは僕が出会った一つの論文のお話からすることにしましょう。

※この記事は2016年12月2日 広島県広島市で開催された広島県精神科病院協会薬剤師部会学術講演会で僕がお話しした『精神科領域における薬剤師の役割 ~論文情報をもとに”薬が効く”という意味について考える~』の導入部分の内容をもとに作成しました。薬剤師を対象にした記事ですが、特に専門知識の無い薬学生でも読めるよう配慮してあります。また一般の方でも読んでみていただけると、薬の効果の考え方について新しい発見があるかもしれません。(ただし、薬学部で学ぶ程度の専門用語は出てきます。)

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