時代を想う時-昭和の少しと平成と令和のあいだ

 ぼくは昭和生まれではあるけれど、物心ついたときには既に平成の社会を生きていた。だから昭和の記憶はほとんどない。今でも微かに覚えているのは、実家にほど近い団地街の一角にあった魚屋で、母親がサンマを買っている後ろ姿だ。ぼくは海水で満たされた青いバケツの中で、ピュッと水を吹き出すあさりの姿に見とれていた。

 コトバは物の名前ではない……。ソシュールに言われるまでもなく、元号は物の名前なのではなく、歴史の流れに切れ目を入れ、その時代の風景を切り取っていく記号だ。元号は時代を表象する。昭和という記号からぼくが受ける印象は、戦争や貧困の時代ではなく、高度経済成長の余韻を残す妙な興奮と、この先の未来に対する不安を内包した孤独な社会の姿だ。

 ぼくらの世代は、人生の中でも最も多感であろう10代を、90年代という時代の中で過ごしてきた。情報通信技術の黎明期から成長期を一気に駆け抜けた90年代。ポケベルからPHS、そして携帯電話へと連なる通信端末の移り変わりをリアルタイムで経験してきた唯一の世代でもある。

 そんな90年からゼロ年代へと続く平成の世は、コミュニケーションの有り様からエンターテインメント、そして学びの仕方まで、あらゆるライフスタイルを大きく変容させた時代だと言っても良い。その中でもインターネットの普及が社会構造そのものを大きく変えたことは否めないだろう。

 社会構造の変化はまた、個人の生き方も大きく変えていく。多様性が急速に拡大する中で、正しさの定義は跡形もなく崩壊し、目指すべき道しるべのようなものは消滅した。昭和から平成にかけて追い求め続けてきた、大きな物語への抗いとしての自由。ようやく手にしたその自由を握りしめ、先の一歩を踏み出すことに不安を覚えた人も少なくないはずだ。

 情報通信技術がもたらした社会の変容ゆえに、昭和と平成では圧倒的な断絶がある。ぼく自身のライフスタイルも平成という時代を通じて大きく変化した。そして今も変化し続けているのだと思う。歳を積み重ね、その分だけ時勢に敏感になったということかもしれないが、どちらかといえば敏感にならざるを得ないという時代の抑圧をも感じている。ぼくにとって平成は、見かけほど生きやすい時代ではなかった。

 さて、日本における元号は、645年に難波宮で行われた大化の改新時に「大化」が用いられたのが最初である。以来、元号を用いた紀年法は現在まで続いている。日本の古代、中世史を紐解いてみると、元号の改元理由は実に様々だ。白亀を献上された祥瑞による改元、西楼上に慶雲を見た祥瑞による改元などなど、祥瑞による改元がなされることも多かった。

 ある出来事を縁起の良い前兆捉え、新しい時代に夢と希望を託す。時代の移り変わりに新しい価値と意味を創造していくそのプロセスには、当然ながら政治的な意味もあったのだろう。とはいえ、やはり前向きな時代の変化は社会に少なからず明かりをともすように思える。

 明治以降、天皇の在位期間と元号は一世一元と定められ、改元理由は天皇の崩御によるものとなった。だから改元と人の死は切り離せない。しかし平成から令和への改元は違う。日本の憲政史上初めてかつ、天皇の皇位継承史上、202年ぶりとなる生前退位による皇位継承に伴った改元なのだ。平成と令和の切れ目には、時代の変化に付きまとう死の影は薄い。

 時勢の変化は誰にも予測できない。予測できないからこそ、創造する自由がある。この先の時代で、ぼくたちは新しい意味と価値をどれだけ創造できるだろうか。そんなことを考える平成最後の朝は雨空だった。

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青島周一

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