医療にはトンデモ性が含まれている

※以下はTwitterでのやり取りに加筆修正を加えたものです。 

正統医療とトンデモ医療の境界というのは、僕自身がいろいろ考えてきたテーマなわけですけど、科学と疑似科学の境界設定が困難なように、正統医療とトンデモ医療の境界設定もまた、かなり困難だなとは思います。

 そんななか、最近たどりついた境地は、医療に関するあらゆる言説が、トンデモ性を兼ね備えているということです。トンデモというのは、結局のところ、種類の差ではなく程度の差なのかなと思います。一次予防に対するスタチンが正当化されるのと、花粉症に対する小青竜湯が正当化されるのは、どちらも程度の問題であって、いずれにもトンデモ性が含まれていると考えられる、というわけです。

 あるいは、もう少し視点を広げて、西洋医療、東洋医療、呪術的医療を比べても良いかもしれません。もうどれが絶対的に正しいなんてことはなくて、僕の考えではすべてにトンデモ性があるのです。正統性というのはトンデモ性との濃淡が織りなす程度の問題かと思います。

 大事なのは、あらゆる言説にトンデモ性があるといったん認めることかと(繰り返すようですんません)思います。 そのなかで、トンデモ性がなるべく少ないものをどうにか選ぶわけですけど、その選び方は、個人の関心に応じて様々な考え方の違いを呈します。

 白米が体に悪いとか、風邪薬で認知機能が落ちるとか、β遮断薬でうつ病になるとか、SGLT-2阻害薬でCVDが減るとか。いずれもエビデンスがありますけど、絶対的な因果は分かりようがない、という点において、すべてトンデモ性を兼ね備えているといえるでしょう。

 例えば、タバコで寿命が縮むとかも、トンデモ性を秘めているということか? という質問に対しては、「そういうことです」と端的に答えることができます。まあ、この場合、トンデモ性が極めて低い、というわけですけど。

 僕たちは、ある程度の論理的整合性があると判断すると、トンデモ性に目をつぶる傾向があります。目の前のリンゴをかじっておいしければ、それがリンゴだと信じるように(だがしかし、それは人工リンゴかもしれない)

 絶対的に正しい医療なるものに僕らはアクセスできないわけで、あらゆる医療介入にはトンデモ性が付きまとうと考えた方が建設的かなと思うわけです。

 例えば、化学構造式至上主義者であれば、化学構造式以外に関心を向けることは少なく、化学構造式そのものに対して疑いのまなざしを向けることは少ないんですね。

 これは化学構造式をエビデンスや薬物動態に置き換えてもいい。「人工リンゴ」をどこまで疑えるかというわけですけど、それも程度の問題といえます。逆に全て疑っては生きていけない部分もあります。ランダム化比較試験の結果だって突き詰めれば疑いうるわけですけど、ある程度吟味をすることで、人工リンゴかもしれないものをリンゴとして食しているわけです。

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青島周一

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