”薬剤効果”という思想に存在しうる或る緊張について

EBMという思考の枠組みは英米思想史の影響をもろに受けているのはやはり明らかと言える。経験主義、功利主義、そしてプラグマティズム、いずれの共通点も、実際的なアウトカムを重視する考え方である。

とりわけ疫学的思考は経験主義的な要素が強い。ジョン・スノウの疫学的アプローチにせよ、エドワード・ジェンナーの疫学的アプローチにせよ、あるいは高木兼寛の疫学的アプローチにせよ、”何が原因で起きているのか”、というその背後に想定される真なる理論からの演繹というよりは、経験から帰納という仕方で疾病拡大の阻止に成功している。

また薬剤のリスク・ベネフィットを考慮せよ、とは言うが、こういった思考プロセスはまさに”功利主義”的な考え方だ。一ノ瀬 正樹は「英米哲学史講義」で功利主義について恐ろしく明快に言語化しているので引用する。

『功利主義は「計量化への志向性」という経験論の本質を体現している思想なので「程度」ということを文字通り主題化するという議論構成になっており、その「程度」の相違の次元でモラルディレンマに対する解答可能性を持ち得る』(英米哲学史講義p133)

まさにEBMの思考プロセスの原型とは言えないだろうか。もちろんEBMは患者の価値観まで考慮したうえで、リスクベネフィットを考慮するので、単純な功利主義的思考ではないかもしれないが、根本的な思想は多分にその影響下にある。

日本は薬学的な考え方をドイツから輸入したとすれば、英米思想の影響をあまり受けておらず、EBMという考え方はあまり馴染めないのかもしれない。どちらかといえば、薬理学的作用機序というような観念論的というか、科学理論をもとに演繹的に薬剤効果を概念化するような思想のほうがなじみ深いであろう。

近代科学は「感覚への信頼と理論への懐疑をもたらす経験主義」と「理論への信頼と感覚への懐疑をもたらす合理論」の混合物として生まれたとする”近代科学ドレッシング説”はおそらく薬剤効果という思想にも当てはまる。こうした薬剤効果における経験主義的な側面と合理論的な側面は齟齬をきたしうるのではないか。あるいはもっと控えめに言って、両側面にはある種の緊張関係があるのではないか。

筆者はそのような現状においてある思想的立場を提唱している。それが「薬剤効果の構成的実在論」という立場だ。

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