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第137回 平家の絶頂

治承4(1180)年2月21日、高倉天皇(20歳)が譲位し、数え年3歳の安徳天皇が受禅しました。(即位式は4月22日)
そして清盛の娘婿・近衛基通(21歳)を摂政としました。-しかし基通は2年後の平家都落ちの時に裏切って京に引き返しましたー
一応高倉上皇の院政という形を取りましたが、もちろん実権は清盛の手中にありました。
高倉上皇は政治もできず、一層女色にのめり込んでいきましたが、そうする事でしか、はけ口はなかったのです。

新帝の外祖父母という事で、清盛と時子は「准三后:じゅんさんごう、じゅさんごう」という、后に次ぐ位を貰う事になりました。(というかお手盛り)摂関家家司でありながら清盛に心酔している邦綱が、
「出家の者が准三后の宣旨を受けるのは、あの道長公の父、兼家公の時以来と言われます」
と持ち上げました。清盛も時子も嬉し涙を浮かべました。

清盛は、幼い安徳天皇が自邸に御幸の折、自分の真似をして障子に穴をあけたのに感涙し。
「この障子を我が家宝として大事にせよ」と命令しました。
平家滅亡まであと5年。この時が、平家の短い絶頂の時でした。(続く)

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