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第121回 遮那王(しゃなおう:後の義経)は奥州へ。

承安4(1174)年春。常盤を妻に迎えていた一条長成は悩んでいました。
妻常盤と前夫・源義朝の遺児、遮那(しゃな)王が、よく鞍馬寺から脱け出して母に会いに来ていました。もう16歳になっています。小柄ですがとても敏捷で、そして迫られている出家をするのは嫌だ、父の仇を討ちたい、討ちたいとごねていたのです。

長成は全盛の平家の追及や後難を恐れ、遠い陸奥の姻戚、基成に手紙を出しました。長成にとっては従兄弟の子になります。
基成は、あの平治の乱の信頼の異母兄ですが、すっかり陸奥に定住し、娘を当主藤原秀衡の正室として、男児(後の泰衡)を儲けていました。
長成は、手に余る遮那王を遠い陸奥に引き取ってはくれないかと基成に頼んだのでした。
書状を受け取った基成は、いくつも年が違わない婿、秀衡に相談しました。意外にも秀衡は、
「源氏の御曹司を引き取るのも一興(いっきょう)。来させて下され」
と快諾しました。何か考えがあっての事だろうと基成は思いましたが、奥州藤原氏の滅亡の時に、基成はこの時の事を悔やむのでした。(続く)

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