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第10回 常隆(じょうりゅう)寺の思い出

常隆寺は桓武天皇の勅願寺で、元は行基が開祖だそうですが、近くに埋葬された早良(さわら)親王の霊を祀るために増築されたそうです。
実は私は常隆寺と同じ北淡町の出身で(小4の時に山口県に転校し、中3で戻ってきました)幼い頃から地元では「じょろっさん」の愛称で親しまれています。

しかし「灯台下暗し」というか私の好きな平安時代の建造物があるとは分かってなくて、中3の時に「1日遠足」とやらで行った時もただ小高い山を登って広くない境内で遊んだという記憶しかありませんでした。

平成9年に常隆寺に行ったという記録を昨日確認しました。1997年正月に私は家内と常隆寺に初詣でに行ったのです。
九十九(つづら)折りの道は難航しました。そして正月というので車が蟻の列の様に狭い参道にひしめいていました。
やっと着いて、どこか見覚えのある気高い(もう先入観でそう見えてるんですね。前はそう思わなかったのに)建物を見ただけで満足しました。「廃帝院」という古びた額がありました。

近くにあるという早良親王の祠にも足を延ばしました。祠は荒れていました。もうご遺体もないので。しかしその荒涼とした風景は心なしか余計に怨霊というもののの凄味を感じさせていました。
家に帰って、常隆寺に行って来たと言うと、母は何故か驚いて「私も今度連れて行って」とせがみました。

結局それは盆休みに実行されました。今度は正月と違って道は空いていて、参道の両脇には8月と言うのにまだ薄青の紫陽花が咲いていました。
運転しながら、私は早良親王の悲しい人生を言いました。母は
「昔はそんな人だらけで可哀想やな」と言いました。更に私は、
「母ちゃん、じょろっさんは何年ぶりなん?」と尋ねました。母が昔から「私らの小学校の遠足はじょろっさんでな」
と言っていたからです。すると助手席の母は顔を曇らせて何事かを思い出す様に語り始めました。
「私の母親が全然教育に関心のない人でな。ええ人やったけど。父親が私が生まれる前に亡くなって貧しかったという事もあるやろけど、教科書も買ってくれへんし、運動会いうても他の子がみな寿司巻いてくれとんのに私だけ普通の弁当やねん。栗林公園の修学旅行もお金がないから行かせてくれんかった・・・」
私は何か予感がしてもう一度尋ねました。
「母ちゃん、じょろっさんは行った事があんのん?」
「それが尋常の6年生の遠足やのに、お前は喘息やから行かんでええ言うて、行かして貰わんかったんや」
「えっ、そしたら母ちゃん、じょろっさん初めてなん?」
私は余りにも意外な事実に驚き、思わず声が大きくなってしまいました。
すると母は約70年ぶりで思いを遂げた事になります。

大きな杉の木立を抜けて山頂の寺に着き、車から降りたった母は感慨深げに辺りを見渡していました。御堂の中に入って住職さんともいろいろな話をする事ができました。やはり「桓武天皇」「早良親王」という木の看板が中にありました。

帰宅してからも母は満足げに「ああ行って良かった。ええ思い出になった」としみじみ言いました。こんな事ならもっと早くに行けば良かったと思いました。
次の日も私達が加古川に帰る日も母は、「ああ連れていってもろて良かった」と繰り返しました。

その7年後の10月、母は86歳で永眠しました。
自分が教育に金をかけて貰えなかったのか、豊かではないのに、私には思う存分不自由はさせず、大学へも行かせて貰いました。感謝します。

常隆寺に一緒に行った事は、母との重大な思い出の一つになりました。

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