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第41回 「須磨・明石」まで執筆

光源氏の愛妻が若紫(紫の上)としてそれに繋がる「紫のゆかり」を香子は考えました。源氏が思慕する義母は紫からすると藤壺です。ちょうど清凉殿に近いし、昌子内親王あたりの皇后が入るには最適です。そして源氏の母には殿舎で一番遠くて紫といえば、桐壺です。桐壺ー藤壺ー若紫 と「紫のゆかり」が完成しました。桐壺は将来の朱雀帝の母である弘徽殿の女御からひどく苛められ亡くなってしまうのでした。

源氏が最初の正室としたのは左大臣の姫。後に葵祭が元で亡くなってしまうので葵としました。そして前東宮妃。怨霊が多いと噂のある六条から地名を取って六条の御息所としました。(帚木3帖は後年に書いた?)
源氏を失敗して須磨に流さないといけません。在原業平が太政大臣良房の養女であり、清和帝に入内予定の高子を盗み出したという故事を参考にしました。相手は弘徽殿の女御の妹・朧月夜の君。ちょうど父は右大臣から太政大臣に昇進しています。
葵上は夕霧を産んで亡くなり、六条の御息所も娘と共に伊勢に下ります。
そして政敵の娘である朧月夜との密会が露見し、源氏は須磨に自ら流れます。3月20日過ぎですから、安和の変で流された源高明も3月20日過ぎなので読者は高明を思い浮かべたでしょう。
そして須磨で暴風雨に会い、明石の入道の導きで明石の君と出会うのでした。明石の君が懐妊した頃、源氏に帰還命令が出ます。

香子の書く『源氏の物語』は人々に絶賛されます。そしてそこへ清少納言の筆誅が出てくるのでした。(続く)

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