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第107回 三十三間堂

長寛2(1164)年12月17日、清盛は後白河上皇のために、法住寺殿の横に蓮華(れんげ)王院本堂、いわゆる三十三間堂を建立しました。父忠盛がかつて鳥羽上皇に寄進した堂を模したのです。
千体の黄金に輝く仏像に、後白河上皇以下すべての人々が感嘆しました。
後白河上皇は寺司(じし:管理者)への観賞(かんじょう:褒美)を息子の二条天皇から期待していましたが、来ませんでした。仕方なく藤原親範を使者として勅許を待っていましたが、やはり来ませんでした。これほどの慶事にお祝いはなかったのです。
後白河上皇は涙を浮かべ、
「ああ、何の憎さに、憎さに」と清盛に嘆くのでした。

翌年2月になって、二条天皇が体調を崩したという知らせがありました。(続く)

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