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第113回 高倉天皇、8歳で即位

仁安2(1167)年2月11日、清盛(50歳)はついに最高官・太政大臣となります。嫡男の重盛は大納言となり、平家は盤石でした。
しかし僅か3ヶ月後の5月17日、太政大臣を辞してしまいました。
「太政大臣など名誉の職。それよりもわしはやりたい事がある」
東宮憲仁親王(清盛の義妹の産んだ皇子)の即位。そして娘の入内、立后。更には日宋貿易・・・

ところが翌年早々、清盛は大病をしてしまいます。寸白(すばく)という寄生虫の病気でした。そこで清盛は2月11日出家して浄海(じょうかい)と名乗ります。妻時子も夫の病気平癒を祈願して出家して尼となります。(二位の尼と後に呼ばれます)
2月15日、後白河上皇は、病中の清盛を六波羅第に見舞いました。そこで清盛は病を幸いに上皇に懇願しました。
「何とぞ東宮を帝にお立て下さい・・・」
後白河上皇は考えました。今の六条天皇は嫡孫ですが、不和だった亡き
二条天皇の皇子ですし、当然取り巻きも気に入りません。うまの合う(この時は)清盛の甥を即位させる方が得策だと思いました。
「病のそなたに言われてはのう・・・」
後白河上皇は笑い、また、ただでは起きぬ清盛の事もその時は微笑ましいと思っていました。(後に被害妄想に陥りますが)

早速、事は迅速に進みました。
2月19日に僅か5歳の六条天皇は退位して上皇に、そして8歳の東宮・憲仁親王が即位して現在に繋がる高倉天皇となるのでした。平家全盛の第一歩でした。(続く)

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