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第90回 常磐の再婚

一方、清盛に身を任せた敵将源義朝の妻・常盤は懐妊し、永暦2(1160)年の末に隠れ家で女児を産みました。
黙認していた正室の時子はさすがに激怒しました。
「何と恥ずかしい事!それに不愉快な事じゃ!すぐに誰ぞに常磐を妻とするように計らいなさい!」
家来たちの奔走で、藤原長成(ながなり)という中年の中流貴族が妻がいないと分かり常盤は慌ただしく妻となりました。この時、まだ数え2歳の牛若(後の源義経)を伴っていったかどうかは分かりません。やがては鞍馬寺にやられるのですが。

ところで長成は藤原道隆の子孫でしたが、母方の従兄弟に同じく道隆の子孫である忠隆という人がいました。その息子に、平治の乱で処刑された信頼、その異母兄に基成という人がいてこの人は奥州にいて処刑されず、基成の娘は藤原秀衡の後妻となって泰衡を産んでいました。
義経が少年になってから、奥州を頼ったのは、この長成のラインからという事で、結局奥州も頼朝に滅ぼされてしまい、不思議な因縁を感じます。
常磐は長成の間に一男一女を儲けました。息子の能成は異父兄・義経を信奉し、一時は謹慎させられましたが、また復活し従三位に叙せられました。75歳まで生きましたが子孫は伝わっていません。
常磐の晩年は不明で、義経謀反のため、頼朝の命令で娘と共に処刑されたのではないかという事です。

清盛の方は、せっかくものにした美女を1年で取り上げられた形でしたが、かつて自分の母もこんな風に、白河法皇から父の忠盛に委譲されたのかとも思いました。(続く)

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