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第57回 源融と『竹取物語』

『竹取物語』は『伊勢物語』や『源氏物語』に先行する「物語の出で来はじめの祖(おや)」-日本最古の物語とされています。
作者は不詳ですが、9世紀後半~10世紀前半に成立されたとされています。まさに業平が融を訪ねたのは、878年、融が亡くなるのが895年です。

『竹取物語』はもちろん、竹の中にいたかぐや姫が竹取の翁に発見され、美しく成長し、何人かの求婚に難題を以て断り、さいごには月に帰ってしまうというおとぎ話的物語です。中国のチベットに酷似した物語があるといい、チベットが日本を真似したとか、もともと原話がどこかにあって、それが別々に伝わったとか、現在でも論議を呼んでいます。

書いたのはやはり相当教養が深い人。そして藤原氏に恨みを持つ人物ではないかと言われています。それはかぐや姫に求婚する5人の貴族の内、車持(くらもち)皇子という一見架空の人物がいます。実名の人もいるのですが、この皇子は実は藤原不比等の事ではないかというのです。母が車持氏でしたし、不比等自身、天智天皇の落胤という説もありました。
そしてこの車持皇子が、依頼された蓬莱の玉の枝を職人に造らせ、しかも代金を払わずにばれてしまうという5人の中でも一番陰湿なやり口をした人だと描かれています。
藤原氏の陰湿なやり口に怒り、『竹取物語』にその鬱憤を晴らした。
河原左大臣・融こそ、義理の甥で右大臣の藤原基経にないがしろにされ、悔しい思いをして『竹取物語』の陰の作者としてぴったりではないかと思います。あと賜姓源氏の何人かで作成したのではないかと思いますが、藤原氏に反感を持つ人ー源順(したごう)、僧正遍照、紀貫之、紀長谷雄、菅原道真も候補に上がっています。もし融だったら、得意がって業平に見せた事でしょう。そしてそれを読んで業平も笑ったのではないでしょうか?

ところで融の子孫も多彩です。主に渡辺氏となって、大阪の渡辺橋も関係があります。また「鬼の腕」を切り取り、取り返された渡辺綱も子孫です。
そして九州で蒲池(かまち)氏となり、蒲池法(のり)子-あの松田聖子さんが子孫でいます。歌手・ザードさんも子孫ではないかと言われています。(続く)

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