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第60回 寛弘6年前半の出来事

寛弘6(1009)年が明けました。前年9月の待望の皇子誕生で宮中も土御門殿も華やかな新年です。
正月7日にはお祝いとして不遇な伊周に正二位が叙せられました。
しかしそれはすぐに暗転します。
1月30日に一条院内裏で呪いの品が発見されます。
調査の結果、2月2日に陰陽師が喚問され、4日に法師円能が逮捕されます。そこからずるずると伊周の家人や、亡き高階貴子(伊周の母)の妹高階光子らも逮捕されました。
香子の従兄伊祐の妻は高階光子の腹ではないけれど、夫佐伯公行(きみゆき)の娘であり、累が及ばないかとそれだけが心配でした。(結局お咎めなし)
その中で、光子の兄明順という者が道長から呼ばれ、えらく叱責されて翌日に亡くなってしまうという出来事があり、人々の話題となっていました。
「睨まれて何か言われただけで人は死ぬのでしょうか」
この事件は後年、香子が「柏木が源氏に睨まれて嫌みを言われて寝込む」という所の参考にしました。結局、伊周は無罪だったけれど、朝参禁止となりました。

その頃、道長はまた香子に頼み事をしてきました。
「頼通が18になるのだが、具平(ともひら)親王の隆姫というのが15でお似合いじゃ。式部殿は親王様と親しいとか聞く。何とかつてを頼みたいのじゃが」
確かに具平親王とは再従兄妹。父為時や伯父為頼も家人をして世話になっていた。
けれど香子は、あの義理の叔母である大顔が頓死したのに、親王はそれを見捨てなおかつ子供を従兄の伊祐に押し付けて以来会ってなかったので生返事をしていました。それに具平親王は摂関家に対してあまり好意的でないような印象を持っていたし。
ところが道長は別方面から話をつけて、3月27日に婚礼まで話をつけてしまいました。
「殿方というのは結局権力に弱かったのか」
香子に軽い失望が浮かびました。

4月になって、中宮彰子の2回目の懐妊が分かりました。また沸き立つ中宮の局ですが、そこへ新しい女房が追加されるという話がありました。
1人は元・倫子の女房の赤染衛門、もう一人は大江雅致の娘で、女房名を和泉式部として入ってきました。

赤染衛門は香子より年配で落ち着いていましたが、和泉式部は香子より数歳若く、そして何より美貌で華やかなので、すぐに中宮御所の人気を集めてしまいました。為尊親王、敦道親王を悩殺した妖艶な魅力です。

これは、自分が「紫式部」として時めいているのに対して、北の方倫子がぶつけてきたものだと香子は直感しました。明るさを失った香子に同室の小少将の君は慰めました。
「式部様、お気を確かに」そう言う小少将に、香子は答えました。
「ここに式部は二人も要らないわ」  (続く)


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