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第104回 音戸(おんど)の瀬戸(1)

長寛2(1164)年9月になってようやく以前から造りかけていた『法華経』や『阿弥陀経』など計33巻の美しい装飾経の大半が完成しました。
改めてまとめて『平家納経』と呼ばれる事になり、同時に収める経箱も精緻な金工技術を駆使して完成しました。
その月の末、清盛以下平家一門は納経のため、厳島神社に参詣しました。
厳島に向かう途中で、讃岐の方に清盛は手を合わせました。
「讃岐の院様、み心安らかに・・・」
同じ白河院の血を引く異母兄弟の悲運を清盛は思いました。

厳島神社で、清盛はこっそりと前年、内侍に産ませた女児を抱き上げました。しかしそれを嫡男重盛が怪訝な顔で見ていました。
厳島から帰る際、近道をするために音戸という海峡を通りましたが、危うく遭難しそうになりました。
「ここは幅が狭く、潮の流れも速くて、おまけに底が浅くて難所中の難所です。今まで転覆したり座礁したりして命を落としたものは数知れません。けれど倉橋島の南をぐるりと回るのでは明らかに遠回りで不便・・・」
民衆の意見を家来が言うと、清盛は明るく言いました。
「そうか。それではわしがここを通りやすくしよう。なに、工事をすれば良い事じゃ!」
その言葉を伝え聞いた民集は大喜びしたのでした。(続く)

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