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第16回 璋子、鳥羽天皇に入内

白河法皇(65歳)は、養女璋子(たまこ:17歳)への恋慕を断ち切るために。孫である鳥羽天皇(15歳)への入内を決めました。
二人は従姉弟同士でもあり、璋子の美貌は轟いていましたから、鳥羽天皇も心躍らせた事でしょう。それに鳥羽天皇の乳母は璋子の実母の光子(58歳)と姉の実子(年齢不明)だったので、璋子の悪い噂は入ってきませんでした。
10月に璋子は養母の祇園の女御と共に精進のための参籠に入ります。
そして12月13日、白河殿で裳着を行い、腰結(こしゆい:腰紐を結ぶ役)には皇后(妻ではないが白河法皇が与えた)令子内親王(40歳:法皇の内親王、独身)が務めました。『源氏物語』でも明石の姫君の腰結は、秋好(あきごのむ)中宮(冷泉天皇の中宮:六条の御息所の娘)が務めています。
しかしそれが終わっていよいよ入内という時に、突如璋子は精神錯乱に陥ります。
実は璋子の方も法皇を慕っていたのでした。覚悟はしていても悲しい現実に精神がおかしくなってしまったのです。ちょうど、高徳の僧として行尊(63歳、小一条院の孫:百人一首で「もろともにあはれと思へ山桜・・・」)が呼ばれ、祈祷の末に璋子は落ち着きを取り戻しました。前述しましたが実父が49歳の時に出来た子で、同い年の白河法皇から愛されていた璋子はファザコンで、老いた行尊の手当てが良かったのでしょう。
戌(いぬ)の刻といいますから午後九時くらいに璋子はきらびやかな一行を従えて鳥羽天皇が待つ土御門内裏に入ります。当時は夜にこういう儀式が行われた様です。

ところがまた一大事が起こりました。関白忠実(40歳)の日記に「奇怪な事、はなはだ多し」と書いてあるのです。
璋子は、鳥羽天皇を受け付けなかったのです。璋子はどうしても白河法皇を忘れられず、若い鳥羽天皇はどうしていいが、おろおろとした事でしょう。この璋子の我儘とも言える行動に、実母である鳥羽天皇の乳母光子や実子らも気を揉んだ事でしょう。
わざわざ土御門内裏の近くに正親町第に遷御して心配していた白河法皇には何と連絡したのでしょうか?
この項は角田文衛氏著『待賢門院璋子の生涯』(朝日新聞社)を参考にさせて頂きました。(続く)

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