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第132回 原爆、遅々として進まず

1943年6月、オッペンハイマーはバークレーに戻る機会があった時に、かつての恋人ジーンに電話をしました。「さよなら」も言わずに去った事に気が咎めていたのでした。
ジーンを夕食に誘った時、オッペンハイマーは諜報部が尾行していた事を知りませんでした。そしてそれがジョン・エドガー・フーバーを中心とするFBIに報告された事も。
その後、サンフランシスコのジーンの部屋にその夜泊まって翌朝になるまで出て来なかった事も諜報部は記録していて、戦後の裁判で明らかになりました。

7月10日、やっと大量のプルトニウムがハンフォードからロスアラモスに到着しました。その不気味な銀白色を見て、オッペンハイマーは狂気しました。
15日、ロスアラモスの静電気グループがプルトニウム239の核分裂から中性子を観測しました。しかし中性子をぶつける時、速い中性子と遅い中性子が混在すると、うまく爆発しない事が分かってきました。
毎日、惜しげもなく1トンもの爆薬が使われました。
なかなか実験がうまくいかない事を聞いたグローブスは最初の楽観性を捨て不安になってきて、オッペンハイマーに言いました。
「ウラン型とプルトニウム型の二本立てで開発するように。とにかく早く原爆を完成させてくれ」
しかしオッペンハイマーはこの難事業に逆に探究心をそそられるように楽しげでした。(続く)

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