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第9回 少女の頃(6)花山天皇退位について

花山天皇が、腹黒き権力者藤原兼家・道兼父子に騙されて出家させられてしまったというのは、いまや周知の事実ですが。なんと1030年代に成立した『栄花物語』にはその様に載っていません。

『栄花物語』とは、1027年に、大権力者藤原道長(兼家の五男)が亡くなったのを回想するために、赤染衛門に頼んで作られたものと思われます。7年くらいかけて作られたと思います。その中で、花山天皇の退位の事を書かれているのですが、単に、亡き女御を偲んで悲しんで出家してしまわれたとしか書いていません。

『栄花物語』の後、1080年~1120年頃に、同じく歴史物語『大鏡』が登場します。これには、はっきりと兼家・道兼の企みと書かれています。
高校の授業でもよく取り上げられる題材です。私は学生時代、なぜほぼ同時期に二つの歴史物語ができた事が何となく不思議でしたがそのままにしていました。

そして今、私の第六作として『大鏡』誕生というのを題材にしたいと思います。解説書にも『栄花物語』は賛美だけで批判がない、とあり、『大鏡』は藤原氏を賛美しながらも、ところどころに批判があるとあります。

今、構想中なんですが、恐らく『栄花物語』を読んだ貴族が、「これは事実ではない。忖度だ」と憤り、歴史の真実を伝えるために書き直したのではないでしょうか?

他にも敦明親王の皇太子辞退事件。『栄花物語』では窮屈な皇太子より、自由な昔に戻りたいと言って辞退したとありますが、『大鏡』では、道長の血を引かない敦明親王を引きずり下ろしたとあります。

香子ー紫式部も「真実は物語の中にある」と書いています。今、第六作として、『大鏡』作成の過程を構想中です。でも作者が不明ー候補はいますがーなんです。やはり名を出したら、命に危険があると思ったのかなあ?それとも出世できない?(続く)

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