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第143回 白河上皇の溺愛する皇子と皇女

昨日(20日)来年の大河ドラマ「光る君へ」の追加キャストの発表がありました。そこで私が注目しているのは、源明子役の瀧内公美さんです。このnoteでもよく取り上げた「高松方・明子」ですが、出てくる本を読んでもいつも遠慮がちで影の薄い女性に描かれています。5歳で父高明の失脚にあい、叔父に預けられ、その叔父が亡くなると東三条院詮子に引き取られます。そして24歳(?)の時に1つ下の道長の第二夫人となり多くの子女を産みますが、常に正室の鷹司方倫子の側より一段下に扱われます。
想像するに、我が子頼宗が9歳の時、詮子四十の賀で異母兄頼通と共に舞いを舞う事があって頼宗の方が上手で終わってからの所作も良く、勝った!と喜んだでしょうか?明子の記述はなく、倫子が口惜しがって頼通の踊りの師匠をクビにしたとあります。それから2番目の男子、顕信が19歳で出家遁走した時は勿論嘆き悲しんだでしょうが、それも記録にはありません。85歳ほどまで生きて長命だった訳ですがどう演技されるのか楽しみですね。妖艶?不思議?な演技を期待しています。

さて、今日の題ですが、白河上皇は最愛の亡き賢子が遺した3人の皇女の内、なぜか2番目の媞子内親王を依怙贔屓して可愛がっています。恐らく一番賢子に似ていたのでしょうか?
寛治2(1088)年4月に白河上皇は13歳の媞子内親王と同乗して賀茂祭りの見物に行っています。
また16歳の時、姉であるにも拘わらず、弟・堀河天皇(13歳)の准母として中宮となっています。本来、后がなるものですが、まあ、権力者の白河上皇がこうだと言えば周囲は何も言えなかったでしょうが。独裁者の危険な香りがしてきます。
そして18歳の時に女院となって、郁芳門院と号します。しかし内親王は21歳の8月に病没します。白河上皇は大変悲しんでこれが原因で出家して法皇となっています。

皇子の最愛はもちろん堀河天皇です。蒲柳の質なので大変心配しました。13歳の時に、叔母である篤子内親王(32歳)を入内させています。これは後三条天皇の母・禎子内親王を喜ばせるためとも言われますが、この年齢差で愛情は湧いたでしょうか。
白河法皇51歳の時、従兄弟の妹茨子を堀河天皇の女御としていて、皇子(後の鳥羽天皇)が生まれた時どんなに喜んだ事でしょう。
しかしその4年後、堀河天皇は29歳の若さで崩御します。白河法皇は5歳の孫の鳥羽天皇のために更に強固で独裁的な院政を始めるのでした。(続く)


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