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第65回 事件出来(しゅったい)

基経は家来の勧めで、異母妹・尚侍(ないしのかみ)淑子を味方に引き入れる事にしました。陽成天皇を合法的に退位に追い込むためです。

交換条件が要ります。駆け引きの末、淑子の可愛がっている養子・定省王(当時17歳)を即位させるという密約が成されたのではないでしょうか?
そうすれば基経は外孫の貞辰親王の即位を諦めなければなりません。けれど事態は予断を許さない状況でした。このままでは基経は権力を振るえないのです。
陽成天皇が自分から退位を思わせる様にしないといけません。
様々な案が議論された事でしょう。陽成天皇は和歌と乗馬と相撲が好き。
(以下、拙著での推理)
結局、相撲で相手を殺したと思わせる事になったと思います。
日程は、皇太后高子が、11月9日に平野春日祭りに行啓する時を選びました。春日といえば春日大社。奈良までは皇太后は日帰りでは行きません。泊まりになるので宮中にいない時を狙ったのです。

11月10日、事件は起こりました。『日本紀略』では「帝が源益(ます、まさる)を殿上にて格殺す」とあります。益とは陽成天皇の乳兄弟ですからお互いに16歳です。これが陽成天皇が「殺人者」という事で「凶疾の帝」「狂疾の帝」と言われる由縁です。
しかし「格殺」とは何でしょう?格技の格。刃物で殺したのではなく、柔道などで頭を打って事故死する事が今でもあります。相撲を取っていて、益は投げ飛ばされた時、不運にも頭を打って亡くなったのではないでしょうか?

更に拙著では進めて、尚侍淑子の説得があったとしました。
「益よ、いつまでも帝が相撲を好きなのも困ったもの・・そなたわざと投げられて気絶した振りをしてくれぬか?」純情な益はその通りに演技します。そして別室で手の者に撲殺された・・・

真実は勿論藪の中で分かりません。しかしこの「事故死」というカードは基経にとって陽成天皇を退位に追い込む十分なものでした。
そして悩む陽成天皇を基経はじわじわと追い込んでいきました。(続く)

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