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第148回 平等院での戦い

園城寺では、興福寺と東大寺からは味方を快諾する手紙が来ましたが、比叡山からの返事が来ないので、御前会議を開いて作戦を練る事にしました。
ところが、真海(しんかい)という平家に通ずる僧が長々と演説をし、何も決まらぬまま明け方になってしまいました。
「昼戦には叶うまじ」
として以仁王の軍は南都の興福寺へ向かう事になりました。
しかし初めての軍議にしかも徹夜で参加し、一睡もしていない以仁王は疲れて何度も落馬しました。それで途中の宇治の平等院で休み事になりました。
橋板を三間(さんげん)分、外しておきました。

しかし追討軍は、馬筏(いかだ)をして宇治川を渡ってきました。強い馬を順に川に入れて流れを遮り、その間に兵が川を渡ったのです。
以仁王の助っ人の園城寺の衆人もよく防ぎましたが、平知盛が大将をする2万8千に対して千では勝ち目はありません。


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