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第26回 平清盛(2)

白河法皇のものとなった祇園の女御には娘が一人いたものと思われます。世間には「年の離れた妹」としていました。演歌のヒット曲にもありますよね!

ところが1117年頃、好色な法皇はその祇園の女御の娘にも手を出して懐妊してしまいます。女御は激怒したと思います。人々は処分を怖れて皆イエスマンでしたが、女御は夫を島流しにされた身。忖度なく接していたでしょう。

困った法皇は何と腹心で若い平忠盛(22歳?)に懐妊中のその娘を妻とするよう命じます。
そして1118年、清盛が生まれたのでした。その時、実母24歳くらいでしょうか。しかしその2年後、実母は亡くなってしまいます。3歳の清盛は祖母祇園の女御に引き取られます。これが「祇園の女御が清盛の母」と言われる所以です。

忠盛は後添えを迎えます。それが、池の禅尼として有名な藤原宗子です。
清盛は十二歳で従五位下に叙せられるなど、平家の子供にしては破格の待遇を受けます。それがまた人々が、実は白河法皇の落胤ではないかと噂される根拠となったのでした。(続く)

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