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第130回 皇子出産を巡る清盛と後白河法皇

治承2(1178)年11月、娘徳子の難産の中、清盛夫妻は一日中、横の間で案じていました。
法皇も、可愛い高倉天皇の子の出産という事で、鹿ケ谷の一件はありましたが、駆け付けていました。清盛も後白河法皇にも孫に当たります。
法皇と清盛は、鹿ケ谷の変以来初めてかを合わせました。しかしどちらも何事もなかった様に微笑で振る舞いました。
そしてようやく夕刻になって、清盛と時子の三男で、中宮の亮(すけ)をしていた美男の重衡(しげひら)が御簾の中からずんと出てきて笑顔で、
「ご安産、皇子誕生でございます!」
と高らかに宣言しました。人々はおうっと声をあげ、その余韻はしばらく続きました。
清盛は余りの嬉しさに声をあげて泣きました。傍らにいた時子と抱き合ってまた嬉し涙にずっとくれていました。
法皇はそれをじっと眺めていましたがすぐに笑顔となりました。

しばらくして法皇が還御(かんぎょ)するという事で、門前に車が用意されました。そして清盛は嬉しさの余りに、砂金・一千両、富士の錦・二千両を法皇へ献上しました。
車の中でそれを聞いた法皇は一瞬むっとしました。
『朕が金に困っているとでも思っているのだろうか』
後白河法皇は以前と違って、清盛の行動をすべて悪く取っているのでした。(続く)

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