見出し画像

第117回 摂関家基通と平家の婚礼

嘉応元(1169)年6月17日、後白河上皇(43歳)は出家し法皇となりました。しかし曽祖父白河法皇や父鳥羽法皇同様、女色と権力を捨てる気はありませんでした。
僧形(そうぎょう)となった法皇の頭は扁平である事が分かり、独特の迫力を出していました。(像もきちんとそう製作されています)
翌2年、摂関家の亡き基実の長男基通(もとみち)は11歳で元服しました。今は関白は叔父の基房がなっていますが、やがては基通に譲る道筋でした。
そして清盛と時子の娘・完子(さだこ)との婚礼が行われました。
「これでまた平家は安泰じゃ」
清盛と時子は将来の摂関の正夫人の座を確保して喜んでいました。

しかし当の基通は、11歳ながら実母が犯罪者・信頼の妹ゆえ離縁された事を聞いていました。幼い頃から母の無念を思っていました。
『平家とはいつか袂(たもと)を分かつ』
しかし少年の基通は、平家にも完子にも気取られぬ様行動しました。
後年、平家都落ちの時、すばやく妻を見捨てて京に帰った基通でした。

この結婚を苦々しく思っていた人物がいました。当の摂政基房(27歳)でした。基房は異母兄基実が亡くなった後、自分が受け継ぐべき遺領のほとんどを平家に横領され、遺恨を抱いていました。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?