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第92回 二条院の讃岐

平家を母とする異母弟の出現で、精神不安になった二条天皇を支えたのは、意外にも無理矢理入内させた多子(まさるこ)でした。最初困惑を感じていた多子でしたが、やがて天皇の愛を素直に受け止め、今は背中を押していました。最初の夫・亡き近衛天皇の冥福も毎日祈りながら。

その頃、二条天皇に仕えた女房の一人に、讃岐という源頼政の娘がいました。頼政は源氏の一族でありながら、平治の乱では平清盛に味方し、「離れ源氏」「腐れ源氏」などと陰で揶揄されていました。父思いの讃岐は、
「わが袖は潮干(しおひ)に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし」
と詠んで父の立場を代弁しました。この歌で、讃岐は「沖の石の讃岐」と呼ばれ、二条天皇が譲位してからも仕えたので「二条院の讃岐」とも呼ばれました。二条天皇は、
「分かるぞ、そちの父の立場が・・・」
と微妙な自身の立場とも重ねて、慰めるのでした。(続く)

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