いわゆる萌え絵叩きについての雑感

近年、Twitter上で「萌え絵」叩きについて目にすることが非常に多くなったように思う。

特に大きく話題になったものといえば、「宇崎ちゃん献血ポスター」に関するものだろうか。この件に関しては、擁護も批判も山のように目にしたと記憶している。

こういった萌え絵に関する批判というものに対し、一人のオタクとして感想を述べてみたい。

まず、自己紹介をしよう。

私は30代の男で、幼少期よりアニメ・ゲームが大好き。成長するにしたがって自然とオタクの道に足を踏み入れ、美少女ゲーム(ギャルゲー、エロゲーと呼ばれるもの)や萌アニメも楽しんでいた、ごく一般的なステレオタイプのオタクと言って差し支えない人間である。

そんな私からすれば、萌え絵・・もっと言えばオタク的なコンテンツが社会的な批判を受けるのは、さして珍しい話でもないというのが正直な感想だ。

私よりもっと前の世代・・いわゆる、宮崎駿事件とも呼ばれる連続少女誘拐殺人事件が起こった時代、オタクははっきりと「犯罪者予備軍」「精神異常者」「ロリコンのクソ野郎」などなど、ひどい扱いを受けるものだったと聞いている。

その時代の後にオタクとなった私にとっても、上記ほどひどくはなくてもまあ、似たようなものであったと記憶している。少なくとも、オタクであることを一般にアピールすることは、「キモイ」「現実逃避している」などなど非難されることになるのは目に見えて明らかであった。オタク趣味とは、アブノーマルなものである――実際にどれだけ素晴らしい作品であったと感じていたとしても――少なくとも気持ち悪いというレッテルを張られるようなものであったのは間違いないだろう。

これは、私が男性だからというだけではないと思う。学生時代、いわゆる腐女子と呼ばれるゲイ・ポルノや男同士の恋愛を好む女性は何人かいたが、女子グループの中でははっきりと浮いた存在であった。

そんな私からすれば「萌え絵」というアンダーグラウンドな存在を企業が公式なアピールの場に出したとなれば、非難されるのは「それはそうだろうな」という感想である。

しかし、ふと思う。オタク・コンテンツに対する世間の目は、果たして今も犯罪者に向けるようなものなのだろうか。

今でも思い出せるが、2000年代、私が非常に驚いたことがある。駅のホームで、「初音ミク」の広告ポスターを見たことだ。

萌え絵、なんてものはオタクだけの間で評価されるものだと思っていたので、それがこんな公の場にあるなんて・・・と驚愕したのだ。

公の場へのアニメの進出は、続いた。地方自治体の萌え絵ポスターに始まり、今では駅の掲示板やいわゆる大企業の広告ですら、そのような萌え絵を(昔ほど、現実離れはしていないにしても)見ることは珍しくはなくなった。

10代、20代の若い子たちの話を聞いてみると、さすがにアダルトゲームなどニッチなジャンルはともかくとして、普通に今やっているアニメの話をすることは、それだけで批判されるほどの話題ではなくなっているというのだ。

こうしてアニメ絵というものが一般に受け入れられているのだと(少なくとも若い世代では)考えてみると、昨今の萌え絵批判は

おそらくは、古い価値観を持ったまま、アップデートできなかった人たちなのだろう、という結論となる。これには私も含む。萌え絵は一般には非難されるものだろう、と考えていたのだから。

もちろん、単純にアニメが嫌いな人もいるだろう。私も、芸能人に世間ほど関心を持てない人間なので、そういう人がいることは理解できる。

言うまでもないが企業とは営利集団であり、その企業の顔ともいえる広告でふざけて仕事をするやつ等ごく少数だろう。すなわち、「萌え絵」を使用することがマーケティングにおいて有効だと担当者は判断し、上長もOKを出しているくらいには、萌え絵は批判されるものではないという価値観は浸透しているように思う。

そんな中、これほど多くの批判を受けた「宇崎ちゃん」の件は、Twitterの中にいかに旧来の価値観を保ったまま大人になり、そのまま変化しなかった人間が多かったか・・・ということを示しているのではないかと、そう思うのだ。

社会人になってなお、若い子と触れ合うことの多い職業などそうはない。一度固定された価値観は、よほど積極的に行動しない限り、一生変わらないのかもしれない。

少なくとも単なる「つぶやき」ではなく、何かを主張したいのであればTwitterで意見を口にする前に、一度、いろいろと考えてみるのもいいのかもしれないな・・と思った次第である。

ここまで読んでくれたあなた、長い文章を読んで頂き感謝します。感想などあればどうぞ。


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