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何のためにゲームを作るのか

■ゲーム開発の大変さ

ゲームを作るには、大変な労力を必要とします。
チーム開発するのであれば、人を雇ってお金を支払う必要があります。
人を増やすと管理するコストが増え、ゲーム仕様を文書などに明確化して、要件を正確に伝えなければなりません。
また、システムは規模が大きくなるほど、バグが生まれやすくなるため、デバッグするコストも大きくなります。

これらは個人制作であっても、規模の違いはあれど、大変なことは間違いありません。ちょっとしたミニゲームであっても、「数週間〜数ヶ月」の期間をゲーム制作に費やす必要があり、その間、開発のモチベーションを維持するのにかなり苦労します。
仕事しながらであれば、仕事が終わった後の疲れた状態で作業したり、休日を使ってゲーム開発をする必要があります。割り込みで重要なイベントが発生して、作業を中断せざる得ないことも多くあります。

ゲーム制作が大変であるのは主に以下の理由と考えています(個人的な見解を含みます)

* とにかく時間がかかる(数週間〜数ヶ月)
* ゲーム自体はほぼ完成してもデバッグ作業でかなりの時間を取られる
* バランス調整に時間がかかる
* 技術的な問題に直面した際に、それを苦労して解決するか、実装をあきらめるかの判断が難しい
* せっかく作っても面白くならないとすごく悩む
* 他の人が作ったすごいゲームと比較してクオリティの低さに落ち込む

時間の捻出」や「ゲーム開発を続行する強靭な精神力」や「技術力不足の解消に費やす時間の大きさ」このあたりがゲーム制作を困難にしています。

■それでもゲームを作るのはなぜか

人間は幼少期の経験、それまでの人生で体験した環境により、その行動規範に大きな影響を及ぼすことがあるようです。

* 子供の頃に食べていたものが、今でも好物になっている
* 数学を面白く教えてくれる先生がいたので、数学が得意になった
* 親と一緒に観に行く映画が楽しくて、今でも映画館によく行く

子供の頃に「楽しい」「褒められた」「嬉しいことがあった」という経験をすると、それを一生の趣味や仕事にしてしまう可能性があるということです。
子供の頃に「絵がうまいね」と褒められた経験があり、その延長で「もっと褒められたい」と思って絵を描き続けた結果、漫画家やイラストレーターになった方も少なからずいるそうです。

私の経験に基づく考え方ですが、私が今でもゲーム制作を続けられているのは、子供の頃は、いつも変なことを周りを面白がらせようとしていた経験があったからではないかと思っています。奇をてらった行動をして、周りを困惑させるのが好きな変な子供でした。
そうすることで、注目を集めることに自分の存在意義を感じるわけです。

端的にいうと、私の場合、他人から認められたい「承認欲求」が中心となっていますが、それは「変なことをして周りを面白がらせたい」という欲求がもとになっているようです。また自分がこれまで遊んできたゲームの知識やプログラムの技術を使って、承認欲求を満たしつつ楽しませる方法を模索しているわけです。

たぶん、そういった欲求を「人とのコミュニケーションスキル」に活用できていたら、面倒なゲーム開発なんてものはせず、人と話しているだけで発散できたのではないかと思います。コミュニケーションスキルがないからこそ、ゲーム開発のスキルが身についたわけですね。

人と話すのは苦手ですが、ゲームを作ることで、自分の感覚や感情を伝えるのは面白いです。不器用な方法ですが、これもコミュニケーションの一環と考えると、ゲーム作りが楽しくなってきますね。

■まとめ

ゲーム作りは大変ですが、それでも自分の考えや感じていること、好きなものを表現できるのは、とても楽しいことなのではないかと思います。

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