見出し画像

大きくなるコンテンツから離れたくなる

自分の青春はニコニコ動画だった。

自分の青春は、とある女の子との出会いから始まる。初音ミクだ。
当時、Windows98SEを使いながら、Yahooジオシティーズでホームページを作ったり、ブログを書いたり、チャットをしたり、にちゃんを覗いたり……。まさにフラッシュ黄金期真っ只中のインターネットに潜っていた自分は、ある動画にたどり着き、ニコニコ動画を知る。

当時はまだ、ニコニコ動画(RC2)。いまでこそ、会員登録なしで動画が見られるが、当時は登録していても、一般会員では時刻制限でログインできなかったり、エコノミーモードという低画質モードに強制的になったりなど、さまざまな制限があるなかで、この画像に出会い、この動画に出会い、ニコニコ動画に出会った。
そこからのニコ厨っぷりといったら……。CA(コメントアート)をやってみたり、動画を投稿してみたり、ユーザー生放送サービスが始まれば、生放送もやってみたり(当時は50枠制限があり、枠取り戦争とよばれるものがあった。枠鳥なんてのを聞いたことがある人もいるかもしれない。OBSなどの便利な配信ソフトもなく、配信するのも一苦労な時代)、ニコニコ大百科がサービスを開始したら、動画を見たりするよりも大百科にいることのが長くなった。

ニコニコ大百科の編集者

そんなニコニコ大百科の最初は、「Wikipediaには載せられないまたは載らないような、オタク感の濃いページ」というイメージで、ネット用語やニコニコ動画でしか使われないような用語、さらには歌い手や踊り手、生主などのユーザーを扱う記事(昔は単語記事と区別がなく、いろいろ問題にもなったが)を深く説明する感じで、自分の中では昔から「Wikipediaとアンサイクロペディアの間」というイメージを持っている。そんな大百科にハマった自分は、いろんな記事を新規作成したり、情報不足な記事を追記したり、実はお知らせ表示やユーザーボックスなんかも作って一覧に載ってたりする。

一般にも目が触れるようになる記事

ニコニコ大百科がそういった編集者によって記事が増え、インターネットを使う人口も増えると、検索エンジン上位にニコニコ大百科の記事がくるようになった。そのころから、自分のイメージとはかけ離れていく大百科があった。「検索エンジンの上位に表示される以上、より正しい情報を掲載すべき」という考え方である。その昔、記事のフリガナにネタを仕込んだり、あえて記事にジョークを交えてまたは時にはすべてがジョークとなっている記事があったりしたものの、これらもその考え方の変化に飲まれていき、消えていったものも少なくない(残っているものもある)。

掲示板の激化

ニコニコ大百科の記事には1つ1つに掲示板が存在している。ここが議論の場となり、とても目が当てられない状況になっていたりする。ニコニコ大百科の掲示板のモットーは「ほんわかレス推奨です!」だが、それが守られていない。そういういくつかの変化によって、私はニコニコ大百科の編集者から少し離れてしまった(その後もいくつかは編集したり、新規記事作成したりしてはいるものの、昔ほど熱心には行っていない)。

Twitterの存在

そんなニコニコ大百科の編集者の中では早い段階でTwitterをしているユーザーが多く、自分もそれに漏れずにTwitterをやっていた。当時のTwitterと言えば、公式RT(この言葉すら死語だが)すらなく、自分で「RT:@ユーザー名 ツイートのコピペ」と投稿していた時代で、コメント付きの場合は「QT:」にしたりなどしていた。まだ☆ふぁぼの時代である。

Twitterの雰囲気

当時のTwitterの雰囲気は、まさにツイート(独り言)である。なんでもきままに適当なことをつぶやいて、1日100ツイート超えるのは当たり前。なんかの実況なんかした日には規制され、規制垢へ移動するということもあった。そして「ほかってくる」(=お風呂入ってくる)といえば「ほかてら」(=お風呂いってらっしゃい)と言われた時代だった。

一般化したTwitter

そんなTwitterはどんどん人気となり、有名人も使うようになり、一般の人でもTwitterを知らない人はいない状況。こうなってくると、また簡単には発言できない状態になってくる。まさにちょっと間違えればヤリが飛んできて、ふと気が付けばクソリプの嵐。そして炎上。有名人だろうが一般市民だろうが、炎上すれば何もかもが特定される勢い。

大きなコンテンツの居心地

そうやって自分は、大きなコンテンツの居心地が悪くなり、第一線から引いていく。Twitterも本垢は削除し、一番使うのは鍵垢。当時1日に100ツイート超えていたツイート数も今じゃ0ツイートの日もある。コンテンツが大きくなることが嫌なわけではないが、大きくなったことによる弊害が多すぎて、なかなかそういうところに留まれない。そうして、大きなコンテンツから離れたくなってしまうのだ。この殴り書きは、最近炎上しているTwitterを見たり、とある大百科の記事の掲示板を見てひとつ溜息をついた、懐古厨というかマイナー主義というか、ひねくれもののチラ裏である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?