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お笑いライブを純粋に楽しめない

お笑いを観に行くのが好きで、ライブによく行く。
しかし、純粋に「たくさん笑って、楽しかったなぁ~」とだけ思って帰れたことがほぼ無い。
何も考えず笑っていたくて、観に行っているのに。
いつも、考えなくて良いことを考えてしまう。

考えたくないのに、考えてしまう。



バカリズムの単独ライブを観に行った。
開催されたのは、東京にある草月ホール。
僕は、名古屋に住んでいる。
名古屋に住んでいるけれど、
バカリズムのライブのためだけに東京に行った。
DVDも発売されるけれど、現地で観たくて行った。
時間もお金もかかるのに。

「あと1か月後か~」

「ついに今週か!」

ライブの開催発表から、ずっとワクワクドキドキしていた。

当日、開場時間ぴったりくらいに草月ホールに到着。
入り口の看板の写真撮ったり、お祝いで贈られたお花を見たりして、
指定された席に座る。

「こんなに近くで観れるのか~!席運よくてうれしい!!」

「始まる前の、席でドキドキしながら待ってるこの時間がなんかいちばん好きなんだよね~~」

会場の明かりが一斉に消えると、ついに開演。

1本目のネタ。
「今のボケめっちゃおもろい!!!!!」
「近くて表情よく見えて良い~~~~!!」
来た甲斐があったなと思った。

幕間のVTRを見たら、2本目。
徐々に僕は、余計なことを考え始めてしまう。
「あれ?コイツ、台詞覚えるのサボってるな…」
バカリズムライブは、基本的に一人コント。(番外編「バカリズム案」を除く。)
バカリズムが何かの役を演じるスタイルである。
しかし、今回のネタは、
イラストがスクリーンに表示されて、
バカリズムは何かを見ながら喋っている。

YouTubeに載せられている、僕が観に行ったライブのダイジェスト映像より。

白い台のほうを見ながらバカリズムは喋っている。
台には紙なのかタブレットなのか何かが置かれているのだろう。
この形式ならば、一人芝居をするコントとちがって、台詞を覚えなくていい。
「ラクしてんなぁ…。手抜き感がして嫌だなぁ…。」と思ってしまう。
そんなことは気にせず、ネタで笑っていればいいのに。
内容は間違いなく面白いのに。
たとえば、ずっと滑舌が悪くてネタの内容がきこえないとか、芝居なのにずっと手に台本を持ってやっているとか、それならば不満を持ってもいいと思う。
でも、台を見ながら喋ることは、ネタの内容に支障をきたしていない。
なのに、僕は気になってしまう。

昔サンドウィッチマンのライブを観たときもそうだった。
富澤氏が紙を持って、手紙を読むスタイルの漫才をしていたとき
「うわ!コイツ台本覚えるの面倒くさいから手紙読む形式にしたんだ!絶対そうだ!ラクしてんな~~」と思った記憶がある。

僕は台詞を覚えないことに厳しい。
バカリズムのライブは、その後
きちんと台詞を覚えての一人コントも多数あったが、
もう1本、台詞について気になるコントがあった。
バカリズムが事前に録音した「心の声」が流れ、
本番では一言も発さないコントがあった。
このときも
「うわ~~!今度は録音を流すことで台詞覚えなくて済むようにしてる!手を変え品を変え、ラクしようとしてんなぁ~~~」

内容は面白かったし、たくさん笑ったのだけれど、
公演が終わって、帰るときも、
名古屋に帰る新幹線に乗っているときも
「台詞覚えてたネタ4つと、覚えてなかったやつ3つかぁ~」などと考えていた。
「あの部分おもしろかったな」とか、もっとそういうところに着目できる人でありたかった。
交通費とチケット代など合わせて3万円くらいかかっている。
3万円かけて「コイツ台詞覚えてない!ラクしてる!」と思いに行ったことになってしまった。

思い返せば、始まる前
「始まる前の、席でドキドキしながら待ってるこの時間がなんかいちばん好きなんだよね~~」
と思っていたのは、
始まる前は特に何も考えずワクワクしているだけだからなのだ。
始まると、余計な考察をしてしまうから楽しめないのだ。


考えたくないのに、考えてしまう。


天竺鼠というお笑いコンビの川原氏が好きだ。
1つ1つのボケがめちゃくちゃ面白いと思う。
彼はネタだけでなく、
絵を描いて(ネタのようなふざけた絵がほとんどだが)個展を開くといった活動をしている。

個展を見るために大阪に行ったこともある。
彼の主催、というか司会のイベントも行った。

彼のYouTubeチャンネルの動画もほぼすべて見た。
彼がTVに出るときはいつも見ているし、TVerほか配信サービス、サブスクを駆使して過去の番組なども観た。

もちろん彼の発言や企画、考えが面白くて笑えるから見ているのだが、
また変なことを考え出してしまう。

「この人、何年も同じボケを使いまわしてるな」
「大昔に面白いボケを百個くらい作って、それをひたすら使いまわすだけで生きてるんだ!この人はもう何も新しいものを生み出してないんだ!」

直近の映像を見ても、10年前の映像を見ても、
彼は同じ発言をしている。
芸人さんは誰でも、同じボケをいろんな番組・ライブで使いまわす。
それは当然の事。
毎回即座に面白いボケを考えるなど不可能であるし、大変だ。
10年前のネタを披露することも当然ある。
しかし、川原氏の場合は、
余りにも同じボケ・同じ話を使う回数が多すぎる。
こういうフリがきたらこう返す、というパターンに沿って動いているだけで、新たに何かを考えようという態度が見られない。
どういうことかというと、
たとえば
「飲み物」関連の話になると
「ゾウが怒った時にこめかみから出す、まだ解明されていない謎の汁」というワードを出すし、
「学生時代」関連の話になると
「僕らの頃はビックリマンチョコが流行ってた。みんなビックリマンシールを集めていたが、僕はチョコのほうを集めていた」と必ず言う。
何か数字が出ると、「2で割り切れないですね」「2で割り切れますね」のどちらかを言う。
食レポでは「食べる前が懐かしい~」と言う。
意味不明なボケに「どういう意味?」などと聞かれたり、
質問に対して返答に困ったら、
「それはお任せしますよ」
または
「こっちが聞きたいですよ!!」と返す。
そもそも何も気の利いたコメントが思いつかなかったとき(自分の持っているボケのレパートリーに その場にマッチするものが無かったとき)は
「耳good」と言う。
(「どういう意味?」と聞かれたら「こっちが聞きたいですよ」と返して乗り切る)
困った時に使える万能な返しまで持っているのだ。


こんな考察しなくていいのに、考えてしまう。
純粋に「前も聞いたことあるけど、やっぱりこのボケ面白いな~」って笑えればいいのに。
素直に笑えない。
1個1個のボケは本当に面白いと思うし、
何回も聞いたことあるものでも笑ってしまうことも多い。
素直に、ただ笑っていたい。
でも、余計なことを考えてしまう。

「自分のアパレルブランド”POTENHIT”でグッズをたくさん出して受注生産で在庫も抱えず儲けてる…。ボケだけじゃなくて、Tシャツの絵も同じだ…。”おでこ取れちゃった君”っていうキャラクターのグッズ何種類作るんだよ…」
「ゲーム配信のメンバーシップの月額めっちゃ高い!!!スーパーチャットもたくさんもらって儲けてる…」
「同じボケを使いまわして、同じイラストを使いまわしたグッズをたくさん出して、それで良い暮らししてるんだ…ずるい…」

まだまだ考えてしまう。

彼のYouTubeは、「しつこく同じことを繰り返すだけ」「特に何もしない」などといった動画が多く存在する。
・同じ楽器をずっと演奏し続けるだけ
・黙って8分くらい立っている
・黙って同じ動きを5分くらい繰り返す
のようなもの。
彼は「しつこく同じことをやるのが好き」と言う。
しかし僕は
「うわぁ…こんなので広告収入貰うつもりかよ」
と思ってしまう。

コメント欄で「何か起きそうで起きない感じがwwww」「ただ立っているだけで面白い」などとみんなが面白さをなんとか見出している。
そんな中、僕は
「ファンは、川原氏のことが好きになったとき、誰もが”この人は天才だ!何をしても面白いんだ!俺はすごい人を見つけた!”と信じた。それゆえ、
”あのとき天才だと思った川原克己は、同じボケを使いまわすだけ・しつこく同じことを繰り返して時間稼ぎをするだけ・同じグッズを売るだけ でラクに儲けようとしている”という現実を受け止めたくないんだ!そうに違いない!だから、こんなつまらない動画でもどうにかして面白いところを探そうとしているんだ」
と考えてしまう。
そして、「みんなを気づかせたい!無理に面白がらなくていいって教えたい!!」と考え、僕は
川原チャンネルのとある動画にコメントを残した。
すると、
コメントに返信など一切してこなかったのに、
僕のコメントにだけ、しかも4つも
川原チャンネルから返信がきたのだ。

僕のコメントと、返信


返信


更に返信


「焦って返信してきたぞ!?ということは、僕の言っていることが合っているんだ!!!」
と僕は考えてしまう。

別に、ただ立っているだけの動画でも
同じ動きを繰り返すだけの動画でも
本当に笑っている人はいるだろうし、
コメント欄の人も無理に面白さを見出しているわけでなく
本当に面白いと思ったのかもしれない。
川原本人も、「しつこく同じことをすることはおもしろい」と本当に思っていて、
時間稼ぎだなんて全く考えていないのかもしれない。
頭の片隅でそう思ってもいる。
だが、やはり
ラクに収益を得ようとしている感じがして許せないし、
プロの芸人なら、もっとおもろいことを生み出し続けてくれ!と思う。



「台詞を覚えるのをサボっている。許せない」
「同じボケを使いまわしてラクしている。許せない」

なぜ好きなものを観てこんなに怒ってしまうのか。
わからない。
何故考えてしまうのだろうか。

純粋に笑える人が羨ましい。
素直に面白いと思える人のほうが絶対に幸せだ。

この考え方のせいで、僕は人生かなり損していると思う。
というか、損している。

明確に大損してしまった出来事がある。


僕はお笑いだけでなく、音楽も好きだ。
Runny Noizeというバンドが好きだ。

彼らのライブに通い、名前と顔を覚えてもらった。
彼らはグッズ販売をライブ会場で自ら行うので、そこで話す機会がある。
だから、覚えてもらえるのだ。
彼らは僕のTwitterのアカウントも、そしてこのnoteの存在も知っていた。

僕は、彼らのことが大好きだったが、
今まで書いたように、好きなものを純粋に楽しめず、
いろいろ考えてしまい、
Twitterやnoteで彼らに対して批判的なことを書いた。
彼らはそれを読んだ。
僕は、
「ライブに足しげく通っていて、顔と名前を憶えられているのだから、Twitterやnoteを見られても、アンチとは思われないはず。アンチはライブ来ないし。別に、嫌われたりしないだろう」
そう思っていた。

しかし、彼らは僕を嫌った。
ボーカルの洲崎という男は、いつも客席をよくみて、お客さんひとりひとりに目を合わせながら演奏してくれる。
或る時突然、僕にだけ目線を絶対に合わせなくなった。

彼らのYouTubeにコメントすると、僕のコメントにだけ彼らはハートマークを押さなかった。

そしてとうとう、
Runny Noizeのメンバーである洲崎・山田のふたりにTwitterをブロックされた。

僕はゲイとかLGBTの類の人間ではないのだが、
ボーカルの洲崎君が好きすぎて
「洲崎君になら抱かれてもいい。抱いてもいい。」「襲いたい」
とまで思っていた。
しかし、そんな考えは本人に届かなくていいと思ったし、
怖がられるかなと思って
Twitterサークル限定で、Runny Noizeの一部のファンに向けてだけ書いていた。
しかし、
僕の批判的発言をよく思っていないファンの一部がそれを流出させた。
本人に届いてしまった。
(流出させたファンも、僕と同じく恋愛的な視点で彼らのことを見ている節があったので、そこが問題視されたわけではないことは明らか。)
結果、
洲崎君にインスタグラムもブロックされた。

以降、僕はRunny Noizeのライブに行けていない。


僕がいつも、考えたくないのに
批判的な考えを持ってしまうせいで、
好きな音楽を生で浴びる場を失ってしまった。

好きなバンドを全く見られなくなって
めちゃくちゃ悲しい。
今でもライブのお知らせを見つけて、泣いたりしている。

批判的な考えを持っていても、
大好きだったのだ。
ライブに行けなくなるのが、どれだけ悲しいことか。
好きだからライブに行くのだ。
「そんなに文句ばかり言うなら、見なきゃいい」という人がたまに居るが、
文句を言っているとはいえ、大好きだから見るのだ。

ライブに行けなくなる、
こんな悲しいことが起きても、
まだ僕は好きな人を批判し続ける。
考えてしまうし、書いてしまう。 書かなければ気が済まないのだ。



「この歌手、この曲ばっかりライブで歌うなぁ。声が出ないんだな。この曲は歌いやすくてラクなんだ。」

「ツアー初日だけ、ライブの最後に写真撮影OK?チケット売れてないんだな。ステージの写メ撮らせるだけで、負荷を増やさずラクに客を増やそうとしてるんだな。バレてるよ。」

「え?”これもライブならでは”??なに?お前の準備不足だろ?台詞飛んでヘラヘラしてただけで”ライブならでは”??
データの入力間違えて”Excelならでは”とか言って許される会社員はいないぞ」

「抽選で数人にサインあげただけで満足すると思うなよ」



純粋に趣味を楽しみたい。
良いところだけを考えられる人間になりたい。
良いところを見つけて評価できる人間になりたい。
俺は死ぬまで
好きな人を批判し続けて
嫌われ続けるのか?
こんな人生、嫌だ。嫌だ。
誰か、助けて。

サポートはなかなかハードルが高いと思うので、コメントやSNSでのシェアを是非お願いします。