見出し画像

語り継ぐことに、一体何の意味があるんだろう

語り継ぐことに、一体何の意味があるんだろう。
私自身はちっとも痛く無いし、辛い想いをしてはいないのだから、こんな話を私がしても意味なんか無いと、思うかもしれない。


これから私が語るのは戦争の話だ。
祖父が語れず、祖母がこっそり教えてくれた事。


祖父は傷痍軍人で、晩年になっても尚その右足に生々しい痕が残っていた。
そんな彼に戦争について無邪気に尋ねたことがあるが、口数は少なく、はぐらかされる事が多かった。

当時の私は不満だったが、祖父はほんの僅かな事柄しか口に出せなかったのだと、大人になった今なら分かる。


さて祖父は、ソロモン諸島の海で激しい銃撃戦の末に足を負傷し、付近の病院に搬送された。

病院と言っても簡素なもので、しかも怪我人病人ぎゅうぎゅう詰め。大した治療も受けられない。
挙げ句の果てに、傷を受けた側の足に感覚が無ければ切ると目隠しされた。

切られてたまるか。

正直、足の感覚はまるで無いが、こっそり目隠しを外して医者が触った瞬間に「痛い痛い」と騒いでやったら、「見た目の割に軽度のようだ」と診察された。

しかし自分は運の良い方で、同じく先の戦いで負傷した仲間達は手や足を無くし、感染症に喘いでいる者も多かった。
そんな状態ではあるが、皆よく生き残ったなと感慨に耽っていれば、重症の者たちを集めて先に日本に帰ると言う。

その中に同じ船に乗っていた友の姿があったので、故郷の家族への手紙を託すと、友は無くした利き手とは反対の手でしっかりと握りしめて頷いた。

自分の番はいつになるだろう。
こんな所ではなく、きちんと治療を受けなければ。などと考えていれば、引率したはずの上官だけが夕刻ふらりと戻ってきた。

思わず、「敵襲があったのですか」と尋ねると、
「彼奴らはもうお国のために戦えなくなったから、船に浮かべて残らず撃った」と言った。

力強くうなずいた友も、見送った人たちも、
故郷に帰ること無くあの海に、芥になって沈んだのだ。



無為に散った命があった分を取り返すかのように、祖父は無事日本に帰ると思う存分平和な日々をその目に焼き付けた。

その話は幾つか書いた。
今や私の手から離れてインターネットという媒体で漂っている。
私が言葉を失っても、それらはきっと生きていける。

だから、この出来事を語り継ぎたく、手紙のように書いてみた。
今からガラス瓶に詰めて蓋をして、noteの海に流すのだ。


どれほどの目にこの手紙は届くだろうか。


波打ち際に打ち上げられて、拾い上げられるか。
はたまた、藻屑となって消えるのか。

それは私には与り知らぬ事だが、
もしこの手紙が届いたら、在りし日の帰れなかった魂に、想いを馳せて欲しいと願うばかりだ。




=======================
祖父が話せた事を元に書いた記事はこちら


この記事が参加している募集

noteでよかったこと

とても光栄です。 頂いたサポートは、今後の活動の励みにさせていただきます。 コメントやtwitterで絡んでいただければ更に喜びます。