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大江健三郎を読むと体調悪くなるんだが

昨日の晩、高熱が出た。仕事帰りの電車の中で徐々に体がだるくなり、家に着いた頃には「あ、これ熱の前のやつだ」と分かった。
風呂に入ると、42℃のお湯がぬるま湯に感じた。

風呂を上がってベッドに入ったのが20時半。電気を消すもまったく寝付けない。モコモコの上着を2枚重ね着し、腹にカイロを貼り、ゴツめの毛布を3枚被っても寒気が止まらない。歯がガチガチ鳴る。あー、やっぱりこうなったか。それから1時間おきに起き、起きるたびに体が熱くなっていく。22時くらいだったろうか? 体が熱すぎてどうにかなるんじゃないかと思った。なぜか野口英世のことばかり考えていた。熱で意識を失うように死ぬのは嫌だなあと。

熱が出たのは、おそらく東京出張に行ったからだろう。一昨日の日曜。その日は総会の取材だった。
原因は総会後の懇親会だと思われる。赤い絨毯がひかれた洋館の一室で、バイキング式のフランス料理と酒が提供される。テーブルが10個くらいあり、普段孤独なおじさん達が近況を語り合う。僕は大体、ウーロン茶を飲みながら隅っこで全体を観察してる。すると可哀想に思うのか、おじさん達が話しかけてくれる。「〇〇くん(編集の先輩)、元気してる?」とか「今日は日帰り?」とか。そうして僕も、ずっと黙って立っている訳にはいかない。

この懇親会は言ってみればウイルスの巣窟だ。酔っ払ったおっさんが飯を食べながら口を開けて唾を飛ばしまくる。知らぬ間に僕はおっさん達の唾をくらいまくっていたのだろう。

もう1つ思い当たるのが、今、大江健三郎の本を読んでいることである。この東京出張の帰りに東京駅の丸善で買った。このジュンク堂もかなり空気がこもっていて劣悪な環境ではあったが、熱との関連性は分からない。

それよりも大江健三郎の文体が僕の体調を悪くさせている、という方がしっくりくる。今読んでいるのは「死者の奢り」に次ぎ、僕にとっての2冊目だが、確か初めて死者の奢りを読んだ時も体調が悪くなったような気がする。大江健三郎の暗くて難解な文章がそうさせている。文章が関係代名詞を連発するような構造だから、1文の頭からケツまでしっかり目で追わないと理解できない。1文をしっかり理解できた時は大江健三郎の言いたいことが分かるので、それが楽しみでもある。しかしとにかくカロリーを使うため、読んでいると頭が圧迫されるような感じがある。

僕が大江健三郎をそれでも読みたいのは、やはり大江健三郎がノーベル文学賞受賞者だからだ。どう考えても一般人の思考からはかけ離れているこの小説が、なぜ世間に受け入れられ、世界最高の文学賞を受賞するほど評価されたのか。根底にはやはり、大江健三郎の「君たちはここまでトガれるか」という訴えと自信があるような気がする。そのパワーをもらいたいから、かろうじて僕は読んでいられる。

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