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業界誌は自由に書けないか

ネットで元BRUTUSの編集・都築響一の対談記事を読んだ。「企画会議をしている時点で、面白い雑誌は作れない」というものだった。

僕が働いている出版社では、月に1度か2度、企画会議をしている。ウチは月刊誌と隔月刊誌を両方やっていて、校了後すぐに次号の特集などを会議で決める。

入社直後、企画会議とは効率のいいシステムだと思った。どの出版社もこうやって雑誌を作ってるんだなあ、と。 漫画のバクマン。でもこういう会議のシーンがあったので、自分が出版人としてその場にいることに嬉しくもなったものだ(僕はバクマン。のファン)。

しかし、出版社の編集部に入って1年半経った今、都築響一の言っていることがよくわかる。「企画会議をする=既に分かっているものを書く→それの何が面白い?」という都築氏。一見暴論のようにも聞こえる。だが、言っていることはすごく分かるのだ。

つまり、BRUTUS創刊時は、新人の編集者でさえも、自分が書きたいことだけを取材して記事にしていたということ。隣のデスクの編集者が何を書いているのかは、雑誌が印刷されるまで知らない。

これはもちろん、BRUTUSのようにマガジンハウスという巨大なバックがあってこそできることだろう。だって、編集者が好き勝手書いた記事の寄せ集めじゃあ、同人誌と一緒じゃないか。スポンサーはどうやって取る? 安くない印刷費をどうやってカバーするというのだ?

しかし、結局はそれが理想の雑誌だと思う。編集者全員が「俺が一番面白い記事を書いてやる」と。そういう姿勢は表紙やタイトルにも現れるだろうし、多分一部の(そして不思議と結構な数の)コアなファンを刺激するだろう。 

まあ創刊時のBRUTUSは今ほど大きくなかったから、そんな同人誌的な雑誌を作って大丈夫だろうか、という心配はもちろんあったと思う。しかし都築響一が言いたいのは、「面白い雑誌を作りたいなら、経営のことは気にしてはダメ」ということだろう。そういう前のめりな編集者が揃っていたのは、さすがに文句なしという感じだ。


ところで僕の会社の雑誌は業界誌だ。そしてBRUTUSは一般人、つまり全国のサブカル好きな20〜30代を対象にした雑誌。ここには大きな違いがある。僕がどれだけ企画会議を無視してやりたい放題の記事を書いたとして、読むのは業界人の年寄りだけ。しかも僕はその業界についてまだほとんど知らない。だから1980年代のBRUTUS編集部というのは、かなり羨ましい。文学や音楽について好きだけ書いて、スポンサーの獲得などちっとも考えないでいいなんて。

でも、これを都築響一に話しても多分こういうだろう「業界誌ならなおさら面白いじゃない」

そう、多分、業界誌とか一般誌というのは言い訳で、やりようはいくらでもあるんだと思う。それは分かってるんだけど……

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