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僕って何 三田誠広

よく「芥川賞のすべて」という受賞・候補作の選評が書かれたサイトを見る。「この作家20代で受賞しているんだ」とか「この題名いいな」という感じで見るのが楽しくて、もう2年くらい続けている。

「僕って何」というこの小説は、最初に見たときからずっと気になっていた。受賞当時が29歳というのも印象的だった。

今回も「日本の古本屋」で買うことにした。文庫ではなく「文藝春秋1977年9月特別号」を買った。芥川賞受賞作は単行本や文庫でなく、文藝春秋の紙質や印字で読むほうが凄みがある。あと、文藝春秋で読むと小説の終わりが突然やってくる。それも好き。

最初の見開きのページに29歳当時のロン毛の三田誠広が載っていた。この人は「いかにも」という顔で好感が持てる。受賞のことばも「いかにも」である。こういう人は最近減ってしまった。

実はこの本、2年前に図書館で「芥川賞全集」を借りて読もうとしたことがあったが、なぜだか飽きて辞めてしまった。2年前の僕は我慢が足りてなかったのだと思う。

今回はスラスラ読めた。ページ数をあまり見ず、たまに見ると「え、もう20ページも読んだ?」となる感じ。

いつも引き合いに出して悪いけど、「僕って何」は、砂川文次の「ブラックボックス」と系統は同じだが勢いが違う。こういう私小説は退屈になる瞬間がいくつかあって当然なのに、「僕って何」ではそれがほとんどなかった。ストレスが全くない小説だった。それは三田誠広の性格が「いかにも」であり、無理に個性を出そうとせず、正直に書いているからだと思う。

僕が学生運動に興味があるのも、スラスラ読めた理由だろう。三田誠広みたいな「可愛い顔してひねくれ者で、革命好きの文学青年」が、実際に学生運動でどういう立ち位置になるのか、というルポルタージュとして読める。「オルグする」とか「シュプレヒコール」などの死語が頻出する。

キャラが立っているのは、三田誠広の狙いではないだろう。そこがいいのだ。海老原や小太りのグラサンの青年などの性格はとてもリアルに思える。こういう気取った学生が当時は山ほどいたんだろうなというのが伝わってくる。本人と似た性格の人間ばかりが描かれているのは、三田誠広が根っからの文学青年であることを裏付けてしているととれ、もう何を書いても好感度が上がるようになっていた。

「日本の古本屋」で掲載誌を買う、という方法を見つけたのは良かった。部屋の本棚に昔の雑誌の背表紙が並ぶのは、なかなか気持ちいのいいものですよ。

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