見出し画像

気楽に書きたいよ

「コラムを書いてみないか」と編集長に言われた。雑誌の1ページを使って、僕が書きたいことをなんでも書いていいというのだ。

それを言われてから2週間くらい経ったが、いまだに1ページ分すら書けていない。「気楽にやればいい」ということだが、僕は気楽にとか自由にとか言われると、本当に考え込んでしまう。


いつも大体1冊の雑誌のうち5〜10ページを担当する。最初はそんなに書けるのかなあと思っていたが、ヤってみると意外とできる。できるというより、「ヤらないわけにはいかないから、ヤる」だが。

次号で僕が担当するのは10ページくらいだ。多めの月だが、これよりも多く書いた月もあったし、まあヤるしかない。配分としては、取材2つと、あとはリライト。取材2つで計8ページ、リライトで2ページくらい。

この前、営業部の歳上の後輩が、「取材ってどんな感じなのか想像つかない」と言っていた。僕は「聞きたいことを聞いて、撮りたい写真を撮るんですよ」と言ったが、しっくりきてないみたいだった。本当にそれだけで記事になるのか想像がつかないんだろう。

確かに、実際にはそれだけではない。頭の中にある写真の配置やタイトルをあらかじめ想像しておいて、それを取材で答え合わせするという感じかもしれない。けどそんなことを言っても、何も言ってないのと同じだ。

記者が月に何本も記事を「書けてしまう」というのは、基本的に記事にはフォーマットがあるからだろう。自分の意見を書かなくていいから、自分を安全地帯に置いたまま文章が書ける。自分の実力がむき出しにならない。

一方コラムというのは、僕の頭の中の全てだ。センスの有無が露呈する。僕は、面白い文章だと思わせたい。なので力が入る。書いては消すの繰り返し。

センスなんて考えるもんじゃないが、僕は雑誌や文芸誌を読む時にタイトルや写真のセンスで読むか読まないかを決める。それと同じことをされると思うと、怖くて怖くて書けないんです……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?