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サガン「一年ののち」

久しぶりにサガンが読みたくなった。サガンの小説の時系列を調べると、まだ読んでいないうち1番刊行が古かったのが「一年ののち」だった。僕はどんな作家であれ、若い時に書いた文章の方が面白いと信じている。だからいつも若い時代の本から読むようにしている。

Amazonで送料込みで700円。サガンの小説は「悲しみよ、こんにちは」と「ブラームスはお好き」以外、書店では置かれていない。だから通販に頼るしかない。

今回届いた本は、これまで通販で買った本の中で一番ヤバかった。見た目は普通。よし、今回も面白そうだぞ……とページをめくると、ページが取れた。普通にページをめくっただけで、強引に引っ張ったりなどしてない。まあ、こういうこともあるかと次のページをめくると、またペリッと取れた。鈍感な僕は、その時点では「まあまあ……」と言い聞かせていたが、30ページくらい読んで分かった。「これ、糊の粘着がもうないんだ、だから簡単に取れるんだ」と。

70ページがバラバラ

こんなことは初めてだった。背表紙の粘着力を気にして本を読んだことなどない。最初は「まあ古い本だから仕方ない」と思っていたけど、満員電車でこれを読んでいてふとページが落ちた時など、「ああ、もう!」だ。
結局、80ページまでが全て外れた。この本は130ページくらいの量なので、半分以上がバラになった。

でも、それは本質ではない。文章が面白ければ、ページが外れようが臭かろうが落書きがあろうが何でもいい。そしてこの「一年ののち」は、まさに最近の僕が求めていた文体で書かれていた。

読み始めは、「これサガンの失敗作だろ」と思った。というのも、メインの登場人物が5、6人いて、オムニバスっぽくなっている。サガンの一番の良さは1人の女と2人の男、このシンプルな三角関係だ。なのにこの「一年ののち」では、章ごとに主役が入れ替わる。「ブラームス」のような一貫性がない。サガンの肉声が欲しいのだ。サガンの静かな叫びを求めているのだ、僕は。

でも途中で分かった。「サガンは文体だけでいこうとしている」と。「一年ののち」は他のサガン作品と比べて、突拍子のない文章が多い。特に会話文かな? いや、地の文もか……とにかく、全ての文章に小さな挑戦がある。サガンの「逆をいこう」という気持ちが伝わる。「こういう言い方する作家は、他にいないでしょ?」という作者の自信が見える。

だから内容はあまり覚えていないが、僕はこの本を読み終えるまでにメルカリで新しいサガンの文庫を注文した。それくらい、まだまだこの文体に浸っていたいと思った。


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