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柔道部

バレンタインの思い出2。の、顧問と副顧問の話をもう少し。

まずは、初のコメントとフォローをありがとうございます。

柔道部だからと脳筋でいるな。
いつも、優しく、賢明、聡明、芯を持つ強い気持ちを忘れるな。……これが、2人の教えです。
ただ、優しさは甘くなりやすい。中学時代の私は優しく強かった。反面、こと、仲間や試合で人を投げれるチャンス!!というときに甘くなる傾向にありました。今なら、容赦なく畳に叩き付けますが笑
中学生は3分間あるんです。
今は国際ルールになってしまい、選手のみなのか、子どもたちもルールが変化したのかはわかりません。柔道は中学だけで、高校には柔道部は無く、演劇部に入部したので。

この3分間を楽しみたいと思い過ぎて、相手を投げるのを辞めてしまうヤツでした苦笑

顧問は私たちの卒業とともに、香港へ交換留学に行きました。
ラッキーな3年間でした。1年以上遅く生まれていたら、出会いは無かった可能性がある。
中学柔道部は筋トレがきつかった。仲間たちがいたから乗り越えれた。独りでと考えるだけで嫌気がします笑
これも、顧問は、体調が悪くなったらすぐにやめること。絶対無理は禁物!
やるなら最後まで、マイペースでいい、やり切ることが大切だ。
私は、3才〜12才まで毎週土曜日の午後、スイミングクラブに通っていたけれど、前を行く仲間たちのかなり後ろを走る、柔道部員の中で体力低いほうでした。
一番最後尾には、重力級の同期生。
声を掛け合い、最後まで自分のペースで筋トレをやり切りました。
筋トレの種類でペースを変えることもしなかった。ペースを変えて早々にきつい目に合う仲間たちを横目に…。中学生だから「いけそう!!」となるのもまあ…若気の至り。
自分の力量……勉強然り運動然り、リーダーシップタイプの有無は、最低でも高校1年、早くて中学生で理解と把握はしておけて当たり前だと私は思ってます。
父親が経営者だからか、それこそ賢明で聡明な祖母の背中を一心に生きてきたせいか、自己判断を過大してなんでもひょいひょい出たがる大半の同級生たちのせいか、はたまたまだ知らぬ発達障害故の物の見方のせいか、私は自分の力量を既に把握していました。

顧問が勉強もきっちり重んじていた話を最後にひとつ。
中学2年の1学期後半、折から不得手だった数学の理解力が停止していました。ある日から急に停滞期がおとずれ焦りながら、「落ち着け。絶対止めるな。即1を取り退部と父親から人間全否定される。解き続けろ、いつか理解に繋がる!」数学を中心に勉強をしていました。
そこに、親友のSが塾の無料夏季体験があるって!と塾に通うお兄さんからとチラシを見せてくれました。
数学、英語、理科…ほとんどの人は中高生時代躓く教科を筆頭に歴史、世界史と…
私は「数学!2週間全部!」即決でした。塾でわからないかもしれないなんて考えなかった。やってみないとわからないもんに最初から怯んでどうする。
親友たちには自由に自分のやりたいのを受講しようと押し付けはしなかった。父親に点数取れと強制されている不快なことは、人にはしない。今でも当たり前にそういう人間です。
私に続き親友たちも数学にする!と「私に付き合う必要無いよ?本当に後悔しない?」何度も確認して「数学!!行こう!!」決定。
そこで「でも…顧問反対しないかな?」ぼそっとつぶやいたそいつに内心呆れた。「勉強にも抜かりない人だよ?するはずないべ」絶対的な信頼感からサラッと言い返し、次の日昼休みにみんなでチラシを見せて「私は数学が躓き酷いので」とそれぞれの理由を述べて、顧問は黙って頷き聞いたあと「しっかり勉強してこい」と真っ直ぐに見つめて言ってくれました。
「はい!」顧問の送り出しに必ず応える!!……果たして、初日からもう分かりやすくて世界が開けたあの感動は忘れません。
おかげで2学期は少し点数も戻し、柔道部も更に励みました。
塾の情報を教えてくれた親友とそのお兄さんにも感謝を述べました。

まだ平成初期、昭和の名残が根強くある時代に、顧問のNO暴力罵詈雑言、NO脳筋の教育方針は先を歩いてました。
英語の先生故か、ユーモアも有り、授業も部活も楽しかったです(^^)
……先生のおもしろいところをもう一つ。
大学からかな?自ら自衛隊駐屯地に赴き、一緒に筋トレをさせてほしいと頭を下げ、自衛隊員さえ度肝を抜く体力で淡々と筋トレをこなしていたんです。
それを中学生版にした筋トレを、年2回は行い、「喋れなくなるまでやるかぁ。心配するな、帰る体力だけ残してやる」スーンと言い、こっちはマジで無理なのに誰かが小さくとも「むり…」と言うのも聞き逃さず「お!まだ喋れるかぁ〜!じゃあ……」意気揚々とする顧問と、喋った仲間に心底ムカつきまくる私たちの図は、今思い出してもなぜか笑えるのです。

だからって、そいつを責めることは無かったです。
柔道部は、先輩後輩男子女子関係無く、困っている学生を率先して助けること。
それにはまず、仲間をたいせつにして、尊重し合い助け合うこと。がモットーですから。

あの頃の仲間たち、学校生活は、私の誇りです。

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