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東京散歩 学問と性の街

「売上のことも考えましたし、よく来てくださるお客様から『よそのお店に行っちゃうよ』みたいなことも言われたりしてて、それで…」

ずいぶん昔に観た、風営法違反で起訴されていた女性が裁判で話していた。彼女はバーの経営者。だが、客に隣に座って接客するよう求められそれに応じてしまったことで起訴までされる羽目になってしまっていた。他にもいくつもルール違反をしていたがそこは割愛しておく。

この裁判時は例の流行り病なんかもあって飲食店には厳しい時節だった。背に腹は代えられず…という事情もあったかもしれない。「よそのお店に行っちゃうよ」、いかにも脂ぎったおっさん客が言いそうなセリフではある。彼女もこんなキモ客の隣など座りたくなかったであろう。でも、彼女にも生活があるのだ。


この裁判の舞台は千代田線湯島駅を降りてすぐのところである。湯島といえば「湯島天神」を思い浮かべる人がほとんどだろう。だが路地を1本入ればスナックやバー、ガールズバーなどがびっしりと軒を連ねている。そういう店の密集地帯なのだ。お店を経営する人にとってみれば競争は激しい。彼女が「よそのお店に行っちゃうよ」という言葉に負けてしまったのも理解できなくはない。

先日、このあたりをブラブラと歩いてきた。特に用事があったわけでもないが、僕は用事もなく暇な時にはとりあえず上野という街に行くタイプの人類である。そして僕は上野に行く際、だいたいは湯島で降りてテクテク歩いて上野に行くというコースを選ぶ。湯島は昔からよく来ている街なのだ。その日はいつも上野に行く時とは逆、上野から湯島へというコースでお散歩を敢行してきた。


上野駅を降り立って大通りを秋葉原方面に向かってテクテク歩くこと数分、この際、ハッテン映画館やよく違法薬物関連の裁判で登場する公衆トイレや交番などのスポットがあるがそこはあえて無視をする。すると右手に見えるのが「池之端仲町通り」だ。仲町と書いて「なかちょう」と読む。この200メートルあまりの通りを突っ切れば地下鉄湯島駅にたどり着くことになる。

仲町通りを入ってすぐに目に飛び込んでくるのはストリップ劇場「シアター上野」だ。ストリップ小屋も以前よりずいぶん少なくなってしまったが、シアター上野は今も営業している。ずいぶん昔のことだが、僕は昔ストリップにハマっていた。このシアター上野にも足繁く通い、空を舞う浅葱アゲハさんの姿にいつも見惚れていたものだ。いつだったか、この劇場でアゲハさんを観てボロボロ泣いている女性客を見かけたことがある。まだ20代前半くらいか、ずいぶんと若い女の子だった。あの子に何があったかは知らない。どんな子かも知らないし、何が彼女に涙を流させていたのかも知らない。でも、彼女にとってあの日あの場所でアゲハさんに出会うことが必要だったんだろうな、ということはわかった。ストリップというと低劣なものだと思っている人もいるだろうが、誰かの心をたしかに動かすことができるものがそこにはたしかに存在する。あの日もアゲハさんは綺麗だった。僕の横で泣いていた女の子の涙も、綺麗だった。


シアター上野の近くにあったガールズバーの看板。冷やし中華はじめました、みたいなノリで始まるノーブラ。


海外にルーツを持つ人も多い。日本人しかいないなら神社マークで済ませるだろうがこの街では神の存在も重要らしい。

ストリップの思い出を書き始めたらキリがないので文章を先に進めていく。シアター上野を過ぎるとそこに立ち並ぶのはキャバクラだったりガールズバーだったりスナックだったりがみっしり詰まっている雑居ビルの数々である。
「池之端仲町通り」と聞いて一部の方は「あー、あのおっパブの…」と頬を緩める方もいるかもしれない。たしかにここがおっパブの聖地とされていた時もある。だが今はおっパブは全然ない。
よくよく考えたらたしかに過激なサービスはあった気がする。今はもうまったくないが、おっパブだらけだった感さえある。その競争の激しさから過激な方向に走る、ありそうな話だ。ここからはわかる人にだけわかってもらえればいいと思って書くが、冷静に考えると「タオル 1000円」とかのオプションは完全に「パブ」でやってていいサービスではなかった。そういうサービスがあったからこそ聖地とされていた向きもあるだろうが、その過激さゆえに滅びてしまったというのはなんだか考えさせられる話ではある。

そういえば、だ。書いていてイヤなことを思い出してしまった。まさにこの仲町通り、まだおっパブの聖地だったころだ。その日、僕は新規開拓を目論んで鼻の下を伸ばしながらこの通りを闊歩していた。ズボンの股間をやけに膨らませてニヤニヤしながら歩いているバカ、まさにカモである。僕は1人の見知らぬにーちゃんに声をかけられた。
「大奥(当時湯島にあったおっパブの老舗)より安くていい子揃ってますよ」
僕は哀れなカモだった。まだ東京の怖さも知らない、無垢でバカな若者だった。鼻息も荒く、カモはヒョコヒョコとその男について行ってしまった。そして…あとは言わぬが花でしょう。一応、その店の言い分も載せておくが、たしかに「基本料金」は他の店よりは安かった。そこは嘘ではなかった。だが、入店して10分ほどで哀れなカモは空っぽになった財布を握りしめてゲッソリと痩せこけて出てきたという事実だけは明記しておく。客引きに声をかけられても絶対について行ってはいけません。

過去の苦い記憶に苛まされながら仲町通りをズンズン進む。おっパブもなくなったが、今はもう客引きもいなくなった。ずいぶんと平和な街になったものだ。
この街にまつわる過去の話はみんな振り払ってしまいたいのが本当をところだが、ここで少しこの街の成り立ちを記しておく。
仲町通りを含むこのあたり(台東区上野2丁目、文京区湯島3丁目らへん)一帯は以前は「数寄屋町」と呼ばれていた。天和2年(1682)、あの井原西鶴の『好色五人女』で有名な「八百屋お七」が焼き払ったのがこのあたりなのだ。火災の翌年には江戸幕府の拝領屋敷地となり数寄屋坊主(江戸幕府の職名。 数寄屋頭の配下で、将軍をはじめ出仕の幕府諸役人に茶を調進し、茶礼・茶器をつかさどった。 wikipediaより引用)が屋敷を構えた。それで下谷数寄屋町と呼ばれるようになり、明治44年には下谷が取れて「数寄屋町」と名称を定められた。
八百屋お七あたりのエピソードもそうだが、それまでは花街として知られていた。とかく、昔から男と女の欲望が交差する土地柄ではあるらしい。



そうそう長い通りではない。テクテクと歩いていけばすぐにまた大通りへと突き当たる。通りの向こうにあるラブホテル、そこはつい最近僕が酷い目に遭った現場である。あの日を堺に僕はTinderをきっぱりと止めた。きっと二度と使うこともないだろう。と、やはり男と女にまつわる話ばかりが出てきてしまう。ここはそういう街なのだ。ついつい下世話な話ばかりになってしまったが、通りの向こうにはかの有名な「湯島天神」がある。少しだけ寄り道をしてみよう。


すごい量の絵馬。これで全部ではなく、同じようなのが他に何か所もある。


しっかり結びつけないと…落ちちゃう!


言わずとしれた学問の神様が祀られているところである。大量にかかっている絵馬は受験関係のものばかり。僕が訪れたのは3月末だったのであまり人はいなかったのだが、年末年始などには大勢の受験生及び受験生の親族がごった返している。絵馬をざっと見てみると「〇〇合格!」みたいなお願いを奉納しているものは多いが、そういったお願いモノに比べるとどうも「無事に合格できました! ありがとうございました!」みたいなお礼参り絵馬はどうも少ないようだ。合格するまでは必死に神頼みをしてみても、合格さえしてしまえば神になんぞもう用はないのだろう。世知辛いものである。



湯島天神なんぞはつまらないので、また湯島へ引き返してきた。陽はまだ高い。だけどここは湯島だ。まだ暗くなくてもお酒は呑める。すぐそこの業務スーパーでたんまりお酒を買いこんで不忍池のほとりで鯨飲するもよし、いっそ上野まで引き返して大統領でモツをつついたり肉の大山でメンチカツに喰らいついたりするのもよし、なんでもできる。
ちょっと曇りがちで不忍池はパス、上野まで行くのもダルいのでパス、それでも湯島なら呑む選択肢はたくさんある。こないだ初めて行ってすっかり好きになってしまった嗜好品天国でひとしきり飲酒して、それから寄り道をせずまっすぐ亀有の自宅に帰って行こう。このコースが考え得るかぎり、僕にとっての最高の休日だ。

仲町通り、少しググればいろいろ昏睡強盗やらなんやら、物騒な記事が出てくる。だがそれも昔の話だ。治安が良さそう、とは決して思えないがずいぶんと安心して歩ける街になった気がする。イヤな思い出もたしかに多いが、楽しい思い出だってたくさんある。そしてなにより、僕はこのあたりの街が大好きである。今後もきっと、僕はこの街でたくさんの悲喜こもごもな思い出を作っていくに違いない。

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