埼玉散歩 新しい日

常磐線で新松戸まで行って武蔵野線の府中本町行きに乗り換えて…と僕はスマホを凝視しながらブツブツ独り言を呟いていた。行く先は「西浦和」という駅だ。東浦和、武蔵浦和、なんとか浦和など、もはや乗り間違えを誘発するための罠としか思えない似かよった駅名がズラリと並ぶ中をピンポイントで「西浦和」に到着しなくてはいけない。僕には至難の業である。ただでさえ武蔵野線はどっち方面に乗ればどこに行けるかがわかりにくすぎる路線である。「そんなことはないよ」と人は言うかもしれないが、僕にとってはそうなのだ。事実、これまでに幾度となく乗り間違えを重ねてきたし降りる駅を間違えてきた。だからなるべく使うことは避けてきた路線だった。
なぜその鬼門たる武蔵野線に乗っかっていたのか。それは「ネウロズ」というお祭りに行くためである。

「ネウロズとは何ぞ」という方のために簡単に説明しておくと、ネウロズは「新しい日」という意味で、クルドの人々が伝統衣装をまとって踊るお祭りである。まあお正月のお祭りみたいなもんだと思っててくれればだいたい大丈夫だ。コロナがあって数年間は開催が途絶えていたが、昨年から再開されていた。

ネウロズが開催されるのが埼玉県さいたま市にある秋ヶ瀬公園。その最寄り駅が西浦和だ。本来は浦和駅で降りてバスに乗るのが一番ポピュラーな行き方らしいが、あいにくバスに払うお金など僕にはない。ということで距離的にもっとも近い西浦和を目指したのだ。
どうにかこうにか間違えることもなく西浦和に降り立った僕はまっすぐに秋ヶ瀬公園へ向かう。駅にさえ着いてしまえばあとの道のりはそんなに難しくないのでひたすらトボトボと歩いて行くだけである。

2024年のネウロズはその開催さえ危ぶまれていた。別にもうコロナがどうこうの話ではない。数年前から「ジャーナリスト」を自称する石井孝明を筆頭として、産経新聞や各種デマゴーグ系の保守雑誌がクルド人への虚偽に塗れた批判を執拗に展開していた。それに乗っかった連中が埼玉県に「公園の使用を許可するな」などとクレームを大量に入れていたのだ。そんなもんは一顧だにせずにフルシカトを決め込むのが通常の判断だと思うが、埼玉県はそのクレームに屈して「楽器演奏はダメだから公園の使用を許可しない」などといちゃもんをつけ始めた。はっきり言ってアホである。そこからてんやわんやがあった結果、埼玉県が折れてどうにか不許可を取り下げたという経緯があった。そのあたりを詳しく書いていくつもりはないので気になる方はググってみたらいいと思う。すぐに撤回したとはいえ、行政があんなデマゴーグに屈したという事実だけは強調しておきたい。



西浦和駅から歩くことだいたい20分くらい。ようやく秋ヶ瀬公園に到着した。到着したはいいがこの公園、ものすごく広い。ネウロズは公園の中央部に近い三ツ池グラウンドでやっている、という情報は得ていた。「野鳥の森」やら「野鳥園」といった野鳥ゾーンを超えたさらに先まで歩かなくてはいけない。「バス代くらい、ケチらなければよかった…」と後悔しながらもまたトボトボと歩いていく。この時は一生懸命に後悔していたはずなのに帰路も結局はバス代をケチって歩いていたのだからお金がないとはつくづく恐ろしいことだと思う。
全然野鳥の影さえ見当たらない野鳥ゾーンの脇の歩道橋をずんずん歩いていく。すると何やら楽器のメロディーが聞こえてきた。「あら? まだ遠いのになんで音楽が聞こえてくるのかしら?」と訝りながら耳をすますと、それは明らかに知っているメロディーである。よくよく見てみると、野鳥ゾーンにある池のほとりで車椅子のおじいちゃんがトランペットを吹いていた。吹いていたのは『もののけ姫』の曲である。誰に聴かせるわけでもなく練習をしているだけなのだろう、メロディーは覚束なかったが「休日に公園に出かけてトランペットを練習する車椅子のおじいちゃん」、という構図にすっかり「なんかすごく素敵じゃん」と胸をときめかせてしまった。某玉県はたしか、「公園内で楽器を使用することは市民の迷惑がどうたらこうたら」などとほざいていたが、おそらくは申請も出さず無許可でトランペットを演奏していたおじいちゃんを見つけたら公園から排除するのだろうか。
もののけ姫に気をよくしてズンズン歩いていく。このまままっすぐ行けば、ネウロズの開催されている三ツ池グラウンドだ。


公園に到着してから歩くこと15分ばかり。ようやく三ツ池グラウンドに到着した。着く少し前から楽しげなリズムの音楽は聞こえていた。もちろん、迷惑だと感じはしなかった。
中に入っていけば、もうそこには華やかな民族衣装をまとった大勢の人たちが踊りに興じている。みんなで輪になって手を繋いで踊っている。
極度の人見知り、かつ音楽は真っ暗な部屋のすみっコでうずくまって聴くのを良しとして生きてきた僕は当然そこに飛び入り参加することなどできない。遠巻きに眺めるのみだ。そんな野暮な男とはいえ、楽しげな音楽を聴けば楽しげな気分にはなる。歩き疲れたのもあるし、とりあえずそのへんに座りこんで踊りをしばらく見物したりしていた。
ふと振り返ればケパブの出店が出ている。僕はケパブには目がない方の人類なので吸い寄せられるように出店へと向かう。青空の下で食べる作りたてのケパブ、そんなもん美味しいに決まっているじゃないか。
「辛さ、どれくらいにする?」
「辛くしないで」
という、やはり野暮なやり取りをして受け取ったケパブは思った通りにめちゃくちゃ美味しかった。「ビール飲みてえ」と強烈に願ったが、出店ではジュースは売られていたがビールはなかった…。次回は絶対にビールを持参すると決意した。
この楽しい雰囲気を壊したくなかったので見ないようにしていたが、グラウンドの外では日章旗を掲げたおじさんとおばさんが何やら騒いでいた。何を言っていたのかは音楽にかき消されて何もわからない。大勢の警察官に取り囲まれ、誰にも届かない言葉を叫んでいた。彼らは彼らなりに何か主張があるのだろうが、傍目にはお祭りに水を差してるだけの迷惑な人たちにしか見えなかったはずだ。ネウロズにはたくさんの子どもたちも参加している。あの子達にこんな醜悪な大人の姿を見てほしくないな、と思った。

お昼ころ、一旦音楽が止みグラウンドに設置されていた簡単なステージでいろんな人の挨拶が始まった。クルド語はもちろんわからない。だからクルド語スピーチはあくびを噛み殺しながら聞いていた。僕の横にいた6歳くらいのクルドの女の子がいたのだがその子も挨拶の長さに飽きてしまっただろう、僕と同様にあくびを噛み殺していた。するとすぐにそれを察したお母さんにキツめに叱られていた。なんだか僕も叱られた気になってシュンとした。
クルド語スピーチばかりではない。日本人も何人か挨拶をしていた。あの有名右翼団体、一水会の代表さんもスピーチしていた。クルドと日本の友好を願う、良きスピーチだった。グラウンドの外やネットで騒いでる「保守」とはまったく違うものだった。
そうこうしているうちにだんだん雲行きが怪しくなってきた。天気予報は午後から雨だと言っていた。「じゃあ傘を持っていかなければ」と天気予報を見たときには思っていた。家を出る時にはそんなことは忘れていた。
駅まで30分近くはかかる。降り出す前に帰らなくてはいけない。スピーチはまだ続いていたが、僕はもと来た道を戻り始めた。

ネウロズは楽しかった。
石井孝明によればネウロズというのは「テロリストの行う恐怖のお祭り」だそうだ。僕が現地に足を運んで見たのは、ケパブを食べて踊ってた人たちの笑顔ばかりだ。来年も都合さえ合えばまたここに来ようとさえ思っている。それだけ楽しかったのだ。
とりあえずの記録ということだけで書いている文章だからこのあたりで締めようと思う。クルドの歴史、政治的な事情、差別や迫害について、一通りは勉強してみたし考えたこともたくさんあるがこの文章では触れない。ただ1つ、ネウロズはとても友好的な雰囲気で楽しかった、そのことだけを強調しておきたい。
来年も再来年もそれから先も、彼らがネウロズを安心して開催できることを願っている。

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