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FX-702Pの思い出

中学1年の冬、お年玉に少し補助してもらって、はじめて手にしたBASICが使えるCASIO製のポケコン。

当時BASICが使えるのはSHARPのPC-1210とPC-1211だったところに、CASIOが参入。リアルタイムのキー入力命令があったのでアクションゲームが作れて嬉しかった。

夜中にゲームを作って、学校に持っていき昼間友達が授業中にプレイする様子を見て、夜に深夜放送を聞きながら改良する毎日。

プログラムできるステップ数が1680ステップしかなかったので、すぐに容量がいっぱいに。けど、そこからが腕の見せ所みたいで楽しかった。

GOSUB 120と書くと、命令で1ステップ、行番号で3、合計4ステップ食ってしまう
そこで
GOSUB 5! (5の階乗で120)と書くと
3ステップで済むので、よく使う処理は
120行、720行とかに、まとめてた

もうこれ以上は無理かなと完成すると
ベーマガ、pioなど、当時あったパソコン雑誌に応募してた。1ページあたり5000円くらいの原稿料をもらえた記憶。はじめて自分の力で稼いだお金で嬉しかった。

学校を舞台にしたアドベンチャー、体育の先生がラスボス、とか、競馬ソフト作ってプリンターで馬券印刷して売ったりしてた。

プログラムエリアが、P0からP9の10個あったのもCASIOの特徴。制御と表示のプログラムをP0に入れて、P1は、ロボットAのアルゴリズム、P2は、ロボットBのアルゴリズムを書いて対戦するロボットバトルはみんなでトーナメントをしたり楽しかった。
ランダムで動くだけのものが意外と強かったり、盛り上がった。コピー本でみんなのプログラムや成績乗せた本作って配ってた。最後には、相手のプログラムに飛ばすという先手なら最強のロボがてきて終了。

この頃が高2くらいかな~
このあたりまで、300本くらいはゲームと呼べないような小さなものも作ってた。
最後にはキーのプリントがツルツルで読めなくなったけど、もう体が位置を覚えていたのですごい速さで入力できていた。

色々な意味で今の自分の基礎を作ってくれた大切で愛着のある機械。
開発してくれた方に感謝してます。

もう動かないけど、絶対に捨てないと思う


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