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『メイドインアビス』を読んで(読書感想文)

はじめに

ここ最近アニメを観る時間的余裕が増えてきており、ちょっとずつ宿題アニメの山を崩しています。
先日、宿題アニメ四天王の一角『メイドインアビス』を観てかなりの衝撃を受けたので、忘れないうちに感想を書いておきたいと思います。

無印の放送当時、各所で話題になっていた頃からそのうち観ようと思ってはいたのですが、いつの間にか7年も経ってしまいました。
そんなことだから宿題アニメが山積みになってしまうんですよね……。
ともあれなんとなく「過激な作品らしい」という噂は聞いていたので、そこそこ気合を入れて臨みました。
テレビシリーズ2期までを一気に観ましたが、ちょっと視聴負荷が重すぎましたね。「Deep in Abyss」の歌詞の意味がわかってくるあたりからもう完全にハマってました。
例によってネタバレだらけなので未履修の方は急いで観てきてください。

アビスについて

まず呪いをはじめとしたアビスの設定が秀逸です。
独自の自然環境や個性豊かな原生生物も魅力的ですが、アビスといえばやっぱり呪いでしょう。
入るより出るほうがはるかに大変なんてまるで大学みたいですよね(3回留年した人が書いています)。
大学は七層まで行っても卒業できますがアビスではそうはいきません。
主人公が生きて地上に戻れないことが最初から確定している、というのははっきり言ってかなり異常です。
ダンジョンに潜るというより異世界に転移したような感覚かもしれません。

とにかくアビスというのは構造に悪意を感じるレベルで危険な場所なのですが、そこに挑む人達が好意的に描かれているのは本作の特色の一つです。
アビスは欲に目がくらんだ者の墓場ではなく、あくまで少年少女が憧れる冒険の舞台なんだと思います。
ナナチが(タマウガチにビビるレグに対して)「そんなものじゃ あこがれは止められねえんだ」と言うシーンは印象的でした。
それにしてもリコが無鉄砲すぎるのは気になりますが、そこは例のあの遺物の影響ということで納得しています。
現状明らかになっていないアビスの謎はまだまだありますし、我々もリコの目線を借りて冒険を満喫していきたいですね。

ところで六層の呪いが「人間性の喪失」って書かれてるのずるいですよね。
人間性って言ったら普通精神的なものだと思うじゃないですか?
物理的に人間性を喪失していくのか……。

ナナチについて

ナナチさんのことが大好きすぎる。
最初にリコさん隊に加わった仲間にして、本作の方向性を決定付けたキャラクターかと思います。
まず見た目のケモノ感が絶妙にちょうどいいんですよね。
またファンタジーな見た目とは裏腹に、ナナチの抱える嘆きや悲しみはあまりに悲痛で、圧倒的なリアリティがあります。
その半生が過酷すぎて、思わず目を覆いたくなることもありました。
ですが、ナナチはつらく悲しい運命を背負っただけのキャラクターではありません。
アニメ無印ではちょうどクライマックスにあたるナナチとミーティのエピソード、そこで描かれるのはナナチの葛藤であり、優しさであり、強さです。
自らの全存在と引き換えにできる程の「価値」があるミーティを、その尊厳を取り戻すために、終わらせることを選んだナナチの心境は軽く想像を絶しますが、それがどんなに気高い行為であったのかは我々も心で理解できるかと思います。
そして、ここに見られるような「人間を極限の環境下に置くことで本質的な感情を絞り出す」という非人道的な設計思想がそのまま本作のメインコンセプトになっており、ナナチはその典型的な被害者でもあるのです。
まさに作品のマスコットとしてふさわしい存在と言えるでしょう。

あと独特の変な鳴き声がかわいすぎる。
井澤詩織さんのクセ声を史上最も上手く使いこなした作品としてアニメ史に名を刻んだのは間違いありません。

『深き魂の黎明』

問題作です。
ただ倫理的には賛否両論あるかもしれませんが、とんでもない傑作でもあるのは確かです。
そこに描かれていたのは、とある少女の人生そのものでした。
また深界五層の異質な雰囲気や、作中でも屈指の激しい対人戦闘の描写など、映像的な見所も多くありました。
このエピソードをどう受け止めるかは、本当に人それぞれだと思います。
人によっては嫌悪感を覚えるかもしれないし、はたまた感動の涙を流すかもしれません。
これほど解釈に正解がないのも珍しいですが、私なりに思ったことをまとめてみました。

ボンドルドとは何者だったのか

これは誰しもがブチ当たる壁だと思います。
一体どんなヤバい人が出てくるのかと期待に胸を膨らませつつ観ましたが、噂のボンドルド卿は想像以上にぶっ飛んだ人物でした。
元の肉体は白笛に変えてしまったそうですが、そこに倫理観も置いてきてしまったのでしょう。
一般論で言えば、罪状を考えるまでもなく明らかに悪人です。
しかし、善悪という我々の価値基準で彼を断ずるのはちょっと早計にすぎるかもしれません。行為だけ見ると確かに残虐非道なゲス外道ですが、それは自らの目的を果たすための手段でしかないのです。
むしろ私の感覚で言うと、その人柄自体はとても優れています。
そう感じるのは、ナナチやプルシュカへの接し方に見られるような物腰の穏やかさに加え、必要以上に露悪的に描かれていないことが大きな要因かと思います。
例えば、同じ白笛のオーゼンが脅しをかける際にはかなりドスの利いた演出がなされていましたが、ボンドルドにはそこまで強い圧を感じませんでした。また、リコさん隊とボンドルドの対決はナナチの視点から復讐劇に仕立てることもできたはずですが、あくまで冒険観の違いによる対立という構図に留めているように見えました。
(このあたりは余分な味付けが少なく、解釈が受け手に委ねられているようにも感じます。作品としての懐が深いというか器が大きいというか。)

なにより彼を憎みきれない最大のポイントは、プルシュカへの親愛を感じさせる言動にあります。
また、「家族に必要なのは血のつながりではなく愛だ」と語るセリフはにわかには信じがたかったものの、冷静に考えるとナナチに対してわざわざ体面を取り繕うような嘘をつく必要はないんですよね。
かといって、人をおちょくって悦に入るタイプでもないような気がします。
つまり、それが我々の知っている愛と同質のものであるかは疑う余地がありますが、少なくとも彼にとっては真実のものであったのだと思います。
特に、プルシュカにメイニャを贈った際の冒険について語るセリフ、祝福とも呼べるあの言葉がまるっきり嘘だったとは私にはどうしても思えないのです。成れ果てや「カートリッジ」となった子供達の名前をしっかり覚えているあたりにも愛を感じますよね(ただし異常性を際立たせている部分でもあります)。
そしてプルシュカが「最高のパパだ」と言うのは、その愛が一方的なだけのものではなかったことを示しています。

「最高のパパ」でありながら愛娘を箱に詰められる感覚は、我々には到底理解できるものではありません。
しかし、どんなに度し難かったとしてもプルシュカにとって「最高のパパ」であったということだけは、紛れもない真実なのです。

プルシュカについて

パパの愛情(仮)を一身に受けたおかげで、地の底にもかかわらずプルシュカは健やかに育ちました。
彼女に関しても解釈が分かれるところでしょう。
非道な行いの憐れな被害者であり、パパへの思慕も強制的に植え付けられたものだと考える方も中にはいるかもしれません。
ですが、極端な洗脳があったかどうかについては否定的に捉えています。
確かに仮面=パパといった条件付けは施されていましたが、愛情まで洗脳でまかなえるのだとしたら、そもそも他の被検体でも祝福の実験は可能なはずです。
ボンドルドがあくまでプルシュカにこだわったのは、単純な洗脳では済まない事情があったからだと考えます。

前線基地で生まれ育ったプルシュカにとって、そこにあるのはみんな当たり前のものでした。
アニメでは無かったような気がしますが、原作では廃人同然の状態で働かされている職員を彼女がねぎらうくだりがあります。
あのシーンについて、一瞬ぞっとする部分はありましたが、先入観にとらわれず一人の人間として接する様子には胸を打たれました。また、箱詰めされた子供に対してもそういう「かたち」であることを受け入れています。
そのまなざしのなんと純粋なことでしょうか。
彼女の短い生涯が幸福であったと思いたいのは私のエゴかもしれませんが、その魂の純粋さだけは確かに目に焼き付いています。
「カートリッジ」と化してなお、リコとの冒険への憧れ父への愛情をまっすぐ抱き続けたこと(これが笛化・祝福によって証明されているのが憎い)、これ以上に尊い想いは地上のどこにも存在しないでしょう。
深界五層の深い闇は、プルシュカの魂を存分に輝かせるためにこそ設えられた舞台だったのではないでしょうか。

……これは完全に妄想ですが、プルシュカがスムーズに「命を響く石」になれたのは、ボンドルドがそうなるように仕込んでいたからではないかと思っています(石の詳しい発生方法は現状不明)。
なぜなら、そうしておけばもし自分が倒れても代わりにリコがその先に進んでくれるし、なによりプルシュカがずっと冒険を続けられるから……というのはさすがにヤツを美化しすぎですかね。

『烈日の黄金郷』

問題作です。(2)
まさか五層を超える地獄が待っているとは……もちろん期待してはいましたが正直斜め上のクオリティでした。
タイトルが「黎明」から「烈日」に変わるのは気が利いていますが、その悲劇ぶりにも拍車がかかっています。
でもある意味ではこれまでのエピソードより観やすかったかもしれませんね。ボンドルドみたいに意味不明な人間が出てこない分、気持ちの整理が付けやすかったです。
しかし例の回想については本当に生き地獄としか言いようがなく、最終的にいい話に着地したのが未だに信じられません。
いい話でした……よね?

アニメ版の構成について

まず真っ先に触れておきたいのが、アニメ化に際しての再構成の妙です。
原作ではリコ視点のまま時系列通りに進みますが、アニメ版ではヴエコ視点の回想から始まって過去と現在を交互に描いていく構成になっています。
1クールのアニメとして見た時ヴエコの視点から始まっていることの意義は大きく、長い原作の一部を切り出したものでありながら、「ヴエコとイルミューイの物語」としての完成度が飛躍的に高まっているのです。

また、過去と現在の両面から描くことで、我々にとって未開の地である六層での冒険を複合的に体験することを可能にしています。
例えば、アニメ初見勢は初めて「村」を見た時、そこにいるのがガンジャ一行の文字通り成れの果てであるとすぐ気付いたでしょう。
同時にその手法はミスリードとしても使われています。
これは私だけではないと思いますが、ファプタはイルミューイの面影がありすぎるため自然とその成れ果てかと思ったし、現在のヴエコが人間のままでいたことには多少の疑念を抱きました。
これらの気付きやミスリードによる積極的な視聴体験が中盤までの味わいを深め、また回想における核心部分のインパクトを強めるのに一役買っているのは間違いないでしょう。

ファプタがかわいすぎて生きるのがつらい件

ファプタがかわいすぎて生きるのがつらいです。
当たり前のことを言うなと思われるかもしれませんが、これは本当に大事なことです。
なにも私が萌豚だからそう言っているわけではありません。
先にちょっと述べたように、本作には余分な味付けが少ない傾向があります。だとしたら、ファプタがしっかりと萌えに尺を割いて描かれていることにもそれなりの理由があるはずです。

私が思うにその理由とは、ファプタが人の心を持った存在であることを示し、人の道を歩んでほしいと思わせるためです。
ファプタの主な萌えパートというのは、要するにガブールンやレグとの交流シーンです。彼らとの交流を通して、ファプタは人間らしい感情を身に付けていきました。
その過程が明らかになることで、受け手はポジティブな方向に感情移入しやすくなるのです。
この「ポジティブな方向」というのが重要です。
ファプタの復讐には道理がありすぎるため、その使命を果たしてくれることを期待するのが自然な流れです。
ですがそれをよしとしてしまっては、我々の感情の行き先と物語の展開にズレが生じてしまいます。
それが必ずしも悪いとは言えないのですが、この物語をより快く味わうためには、ファプタに人間であってほしいと思いながら観るべきでしょう。
そのための下準備として、萌えパートをしっかり描いておく必要があったのです。このあたりのバランス感覚は非常に優れているように感じました。

結局、ファプタの精神的な成熟や人間性の在り方を表現した結果として「萌え」が発生していたことになります。
火葬砲が実際に空間を燃やしているわけではなく、現象として「燃え」が発生するのと同じようなものですね。

黄金郷

これを読んでいる皆さんにはおそらく釈迦に説法ですが、黄金郷について説明させてください。
成れ果て村イルぶるは一種の理想郷ではあったかもしれませんが、黄金郷と呼ぶにはやや違和感があります。
『烈日の黄金郷』の「黄金郷」は本当にあったのでしょうか。

まず、六層での物語の根幹を成しているのが「価値」という概念です。
そして「黄金郷」の「黄金」とは、「最も価値が高いもの」を指していると考えられます。
ではイルぶる世界で途方もない価値を持つというファプタが黄金なのかというと、私の考えでは少し違います。
黄金が指し示すもののヒントは、イルミューイにあります。
「欲望の揺籃」の効果が示す通り、イルミューイの一番の願いは子供を産むことでした(これが本当に胸に突き刺さります……)。
ファプタもまた、「欲望の揺籃」の力で産み落とされた願いの結晶です。
そんなイルミューイ(の意志)が、自身の願いも無念もすべて懸けて産んだファプタにすら「渡したくない」と思ったのが、ヴエコという存在でした。
イルミューイにとってヴエコは、誰にも渡したくなかった、かけがえのない「価値」そのものだったのです。もちろん、ヴエコにとってのイルミューイもまたそうであったことは言うまでもないでしょう。
よって、誰かにとってかけがえのない存在こそが最も高い価値、すなわち「黄金」であるのだと思います。

ヴエコの回想でのジュロイモー曰く、黄金郷は「何でも黄金に変えてくれる」とのことでした。
ヴエコとイルミューイそれぞれが、お互いにとっての黄金となったあの場所に、確かに黄金郷はありました……。

マアアさんの価値

皆さんはマアアさんのことを覚えていますか?
ぱっと見どこかのゆるキャラみたいなのに、なぜかお尻だけがクッソ汚いあの人(人?)です。
意外と出番が多かった割に、マアアさんについては劇中でそこまで説明的な描写がありませんでした。
では、結局マアアさんとはなんだったのでしょうか。
原作者の「マアアさんって何者なの?」と題された解説によると、人間が成れ果てたものではなく村が作り出した細胞のような存在だそうです。
くだんの解説において重要なのはその後です。
マアアさんがどういった信号から作られたのかはたいした問題ではないとした上で、「出会いと行動だけが、何者であるかを決めていくのです」というメッセージで締めくくられています。
つまり、マアアさんはリコと出会い共に行くことを選んだ時から、己が何者であるかを定め自らの価値を手に入れていたのです。

また、マアアさんの価値はそれだけに留まりません。
元々モブだったマアアさんはほとんど価値を持たず、ちょっとメイニャを傷つけた程度で身ぐるみ剥がされる始末でした。
しかし、村が消える頃にはすっかりリコの友人となったマアアさんは、リコにとってはかけがえのない価値になっていたと思います。

と、ここまで考えてきてとても大事なことに気が付きました。
一連の出来事を通して、ファプタはレグと出会い、使命に縛られない自らの生き方を見つけました。
また自分を無価値だと思い込んでいたヴエコは、イルミューイが自分の存在を誰にも渡したくないと思うほどの価値としていたことを知りました。
これらの主役級二人が背負っていたテーマを、マアアさんは一人で体現していたことになりませんか?
出会いと行動によって自分が何者であるかを決め、いつの間にか誰かにとってのかけがえのない価値になっていたんですよ?
そう考えると、マアアさんは思ったよりずっと重要な登場人物だったのかもしれません。
そう、名実共に六層を象徴するマスコットキャラクターとしての存在こそが、マアアさんの真の価値だったのです。

おわりに

いかがでしたか?
私がどれくらい本作に夢中になっているか、その熱量が伝わっていれば幸いです。ちなみに一番好きなシーンはファプタ誕生の瞬間です。
ベラフの言う「まなざし」の話とか、六層でのナナチの話とかまだまだ書き足りないのですが、上手くまとまらないのでこれくらいで終わりにします。

また、本当は同時期に履修した宿題アニメ『アンデッドアンラック』と『時光代理人 -LINK CLICK-』についても一緒に書こうと思ったのですが、長くなりすぎてしまうのでやめました。
どちらも本当に素晴らしい出来なのですが、特に前者は伏線やメタがバッチリハマっていて、『烈日の黄金郷』と同様に原作の一部を切り取ったものでありながら一つのアニメ作品として完璧に仕上がっていました。
今後も積極的に宿題アニメを履修していく所存ですので、オススメアニメ情報は随時お待ちしております。
ちなみに今期のアニメコインはすべて「リンカイ!」にベットしています。

それでは、長文失礼いたしました。


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