外山一機

『鬣TATEGAMI』同人。共著『新撰21』(邑書林、2010)ほか。俳句時評http…

外山一機

『鬣TATEGAMI』同人。共著『新撰21』(邑書林、2010)ほか。俳句時評http://sengohaiku.blogspot.jp/2015/07/toyamaarchive.html。百叢一句http://spica819.main.jp/100soikku

最近の記事

旧派の再検討―秋尾敏の近業から―

 今年八月に刊行された第八号をもって、『短詩文化研究』が終刊となった。同誌の前身は二〇〇五年に俳句図書館「鳴弦文庫」から出された『近代俳句研究1』である。鳴弦文庫は軸俳句会前主宰河合凱夫と、現主宰秋尾敏の蔵書をもとにした私設図書館として知られている。江戸後期から近代前期の俳句資料の研究に資するべく創刊された同誌だが、より広範囲の資料の考察を目指して短詩文学会が組織され、第三号から『短詩文化研究』となった。  終刊号の特集は「橘田春湖研究」。春湖は教林盟社の設立者の一人だ。「春

    • 悲しみの宛先は―崔龍源の俳句―

       今年七月、詩人の崔龍源が七一歳で亡くなった。崔は本名を川久保龍源といい、一九五二年に佐世保市で韓国人の父と日本人の母のもとに生まれた。高校生の頃から詩を書き始めた崔は、やがて反体制の詩を書き続けた韓国の詩人たちに共鳴し、抵抗の詩を書くようになった。詩集に『鳥はうたった』(花神社、一九九三)、『人間の種族』(本多企画、二〇〇九)、『遠い日の夢のかたちは』(コールサック社、二〇一七)などがある。  今回の死去を受け、「コールサック」(九月号)では崔の追悼特集を組んでいる。ここに

      • 俳句の無力さについてー福本啓介句集『保健室登校』ー

         福本啓介が上梓した『保健室登校』(文學の森)は、わずか六〇句からなる小さな句集である。あとがきによれば『大花野』を上梓した小山正見に「句の数が少ない句集を上梓する際の心得」を学んだともあるが、昨年小山が上梓した『大花野』はアルツハイマー型の認知症である妻との日々を詠んだ句集で、やはりわずか三六句のみの句集であった。句集といえば、ある程度の期間のなかで詠んださまざまな句をまとめて一冊にしたものが多いが、『保健室登校』も『大花野』もひとつのテーマに絞ってまとめられたものである。

        • 疱瘡と俳句

           今年二月、『季語になれなかった疱瘡』(海鳥社)という、一風変わった書籍が刊行された。著者の辻敦彦(敦丸)は小児科医である。本書執筆のきっかけは辻の所属する知音俳句会で代表を務める西村和子によってはしかが季語であることを教えられ、「ならば、疱瘡は如何かと調べ始めた」ことにあるという。考えてみれば、季語とされているもののなかには風邪や水中り、夏負けなど病にまつわるものがいくつか存在する。西村のいうように、はしかもその一つである。だが、冬の風邪や夏の水中りはともかく、一見季節との

        旧派の再検討―秋尾敏の近業から―

          村野四郎の俳句

           昨年、岩本晃代が「村野四郎初期作品資料―『体操詩集』前後の俳句を中心に―」を発表した(『崇城大学紀要』)。村野の詩を理解する際に必要な初期作品を紹介しているだけでなく、村野評に安易に用いられてきた「俳句」なる語を問い直す手がかりとなる興味深い仕事だ。 『体操詩集』で知られる詩人の村野四郎が俳句に関心を持っていたことは、以前から指摘されていたことであった。たとえば鮎川信夫は「村野の詩的出発は俳句にはじまっているといわれている」(『現代日本名詩集大成』第九巻、創元社、昭和三六)

          村野四郎の俳句

          句集『広島』に思うこと

          Ⅰ 『広島』は「新しい重信論」を生むか  『俳句四季』一二月号の時評で筑紫磐井が句集『広島』をとりあげている。『広島』は昭和三〇年八月六日に句集広島刊行会によって発行された合同句集であり、五四五名の一五二一句が掲載されている。六七四名(一一〇二三句)の応募作のなかから選出した句のほか、寄稿を依頼した俳人の句も収められている。最近になって刊行会の常任編集委員だった結城一雄宅から五百冊の『広島』が発見され、遺族が俳句関係者に配布した。今回筑紫がこの句集をとりあげたのも、こうした

          句集『広島』に思うこと

          小説のなかの俳句2020-2022

           「俳句」とは何か、という問いに向き合うとき、句集や俳句評論集だけを読んでいたのではわからないことがたくさんある。だから、俳句の登場する小説やエッセイ、さらには文学とは異なる学問分野の論文において引用される俳句作品やその解釈を読むことは、句集や俳句評論集を読むのと同じくらい重要なことだと思う。  たとえばつい先ごろ、浅見光彦シリーズの番外編として『浅見家四重想 須美ちゃんは名探偵!?』(内田康夫財団事務局、光文社文庫)が刊行された。浅見家の人々が巻き込まれるささやかな事件を

          小説のなかの俳句2020-2022

          ドナルド・キーンへの違和感

           ドナルド・キーンの著作には特に魅力を感じたことがなかったが、それはなぜなのか、あまり考えたことがなかった。しかし、先日『ドナルド・キーンと俳句』(毬矢まりえ、白水社)を読んで、その理由が少しわかったような気がした。毬矢は第二芸術論に対するキーンの発言をいくつか引いているが、そのなかに次のようなものがある。  キーンの発言に何ら理解できないところはない。ともすれば、まるで第二芸術論に対する虚子の態度と似ているようにさえ思えてくる。しかしまさにそのこと―つまり、キーンが日本語

          ドナルド・キーンへの違和感

          「ぼくら」に織り込まれた「わたし」

           暮田真名が川柳句集『ふりょの星』(左右社)を上梓した。二〇一七年から書きはじめた暮田がこれまでの作品から二五〇句をまとめたものである。 その「あとがき」で暮田は次のようにいう。  暮田は『ふりょの星』刊行に伴いウェブ上で短期連載を行なっている。その第一回「川柳は(あなたが思っているよりも)おもしろい」では、川柳が「『五七五で季語がいらないやつ』であると同時に『サラリーマンが会社や家庭生活の愚痴を吐き出すための手段』であり『時事ネタを絡めたダジャレみたいなやつ』であるとい

          「ぼくら」に織り込まれた「わたし」

          俳句にできること―『シベリアの俳句』と「移民俳文」について―

           『シベリアの俳句』(ユルガ・ヴィレ(文)、リナ板垣(絵)、木村文(訳)、花伝社)は、ともすればシベリア抑留者の俳句についての本と見まがうようなタイトルだが、そうではない。これは、第二次世界大戦中にリトアニアの小さな村からシベリアへと強制移送された人々の物語である。  バルト三国の一つであるリトアニアは一九四〇年にソ連に占領され、ナチス・ドイツによる占領とホロコーストを経て一九四四年にソ連に再占領された。物語は一九四一年のソ連占領下のリトアニアから始まる。本書における「俳句

          俳句にできること―『シベリアの俳句』と「移民俳文」について―

          平凡さについて ―ハンセン病患者と俳句―

           先頃、清原工による北條民雄論『吹雪と細雨 北條民雄・いのちの旅』(皓星社)の新版が刊行された。  昭和八年、一八歳だった北條民雄はハンセン病の発病を宣告され、翌九年に全生病院(現・国立療養所多磨全生園)に入院した。さらに翌一〇年には「間木老人」によって本格的な文壇デビューを果たし、まもなく「いのちの初夜」で注目されるが、一二年には腸結核と肺結核により亡くなっている。  北條が全生病院に在院していたのは四年ほどだが、偶然にもこの期間に高浜虚子が武蔵野探勝の一環として来院し

          平凡さについて ―ハンセン病患者と俳句―

          それは僕らのものではない  ―高野ムツオの震災詠について―

           高野ムツオが『あの時 俳句が生まれる瞬間』(朔出版)を上梓した。『語り継ぐいのちの俳句 3・11以後のまなざし』(朔出版、二〇一八)所収の第三章「震災詠一〇〇句 自句自解」を佐々木隆二の写真とともに再構成し、加筆修正したものである。収録された一〇〇句はいずれも『萬の翅』(角川学芸出版、二〇一三)『片翅』(邑書林、二〇一六)の収録句だ。  『あの時』を読み進めていくと、高野の震災詠とははたしてどこまで個人のいとなみとして行なわれたものであったのか、次第に疑問に思われてくる。

          それは僕らのものではない  ―高野ムツオの震災詠について―

          ETV特集「戦火のホトトギス」に思うこと

           八月二一日、NHKのETV特集の一つとして「戦火のホトトギス」が放送された。戦時下のホトトギスの雑詠欄から数名の投稿者を選び出し、その人生をひもとくというドキュメンタリー番組である。  番組冒頭では、ホトトギスが戦時下でも発行され続けたことについて説明がなされている。今年で創刊から一二四年目を迎えるホトトギスだが、四ヶ月だけ発行が止まったことがあるという。稲畑廣太郎は現在も社に保管されている昭和二〇年発行のホトトギスを紹介しながら、昭和二〇年六月から九月までが欠けているこ

          ETV特集「戦火のホトトギス」に思うこと

          かなしき『菊は雪』

           佐藤文香が第三句集『菊は雪』(左右社)を上梓した。そのなかのどちらかというと地味な次の句について、まずはしつこく考えてみたい。  虚子の〈鎌倉を驚かしたる余寒あり〉について、かつて山本健吉は「鎌倉の位置、小じんまりとまとまった大きさ、その三方に山を背負った地形、住民の生態などまで、すべてこの句に奉仕する」(『定本現代俳句』角川書店、一九九八)と述べた。「余寒」をあえて大仰に述べることで、この句は鎌倉の地理的な特徴やその歴史性をうまく言いとめている。この句の表現としての新鮮

          かなしき『菊は雪』

          杉田久女は語ることができるか

           俳句史を論じるとき、近代における女性俳人の誕生を「ホトトギス」が大正二年六月から行なった婦人十句集以後に見る者は少なくない。婦人十句集とは、「ホトトギス」の男性俳人の身内の女性や参加希望者を集め、句を回覧方式で互選し、その結果を掲載するというものであった。先に掲げたのは、「ホトトギス」を購読していた男性による投稿である。「女流俳人十句集」「女流十句集」とは婦人十句集のことである。婦人十句集やそれに参加した女性たちが当時どのようにまなざされていたのかをうかがい知ることのできる

          杉田久女は語ることができるか

          神野紗希は溺れない ―『すみれそよぐ』について―

           昨年刊行された神野紗希の第三句集『すみれそよぐ』(朔出版)を初めて読んだとき、ひどくつらい気持ちになってしまったのを覚えている。神野自身がいうように、この句集は神野の二〇代末から三〇代半ばにかけての句が、結婚・妊娠・出産・育児というライフステージに沿って編集されている。僕が悲しい気持ちになったのは、この句集から立ち上がってくる女性像が、見事なまでに自己マネジメントされた母親としてのそれであるからだ。  この句における右手は子どもの手を引いているのか、あるいは荷物を持ってい

          神野紗希は溺れない ―『すみれそよぐ』について―