終電を逃した後で ―俳句甲子園雑感―

終電に乗り遅れてしまった後に訪れる、あの奇妙に静かな気分をときどき思い出すことがある。あの、取り残されてしまったことへの不安と、夜明けまでの静かで長い時間とがもたらす、もの悲しく穏やかな気持ちは、僕にはどこか懐かしいものであるような気もするが、しかし、それをなぜたびたび思い出すのかはわからなかった。

第一九回目となる俳句甲子園が今年も始まる。僕自身は高校生時代に俳句甲子園に出ることはなかったが、傍観者だった僕が生徒とともに俳句甲子園への参加するようになって、もう五年目になる。弱小校ではあるが、五年もたつと俳句甲子園に携わる者のさまざまな思いをそれなりに目にするものである。神野紗希や佐藤文香など俳句甲子園経験者の活躍もあって、高校生が作句力と鑑賞力を競うこの俳句甲子園はときに若手俳人輩出の場のように語られることがあるけれど、俳句甲子園経験者自身によってすでに指摘されている通り、俳句甲子園を卒業してしまった後も俳句を詠み続けている者はそれほど多いわけではない。

というのも、参加者の全員が必ずしも「俳句を詠みたい」から「俳句甲子園に参加する」わけではなく、「俳句甲子園に参加したい(することになってしまった)」から「俳句を詠む」という者も相当数存在するからである。僕ははじめ後者に対してかなりの違和感があった。後者がなぜ間違っているのかを指摘するのは簡単であるようにみえる。俳句を詠むということに対する真摯な態度に欠けているとか、ゲーム感覚で俳句を詠んでいるとか―いわば、俳句を詠むことが自らの生のありかたと対峙することと同等であるような、切実でパフォーマティヴな行為たりえていないことを指摘すればよいのである。実際僕は、「俳句を詠みたい」から「俳句甲子園に参加する」という姿勢にさえ不満で、本当のことを言えば、「俳句を詠まなければならない」「俳句でなければいけない」ということを自らの業や志として引き取った者が結果的にこうしたイベントに参加する、というのが真っ当なありかたなのではないかと思っていた。また、そのように考える僕にとって、俳句を詠むということは多分に羞恥心を伴うようなみっともない行為の謂であり、だから、俳句甲子園に出場することや俳句を詠むことをまるで素晴らしいことであるかのように語る言葉を目にするたびに、その眩しさに対する違和感をどうしても拭えずにいた。

けれども、そのような個人的な拘りを根拠にして、堀下翔のいうところの「たまたま俳句を与えられた」者を一概に優れた表現者たりえないと断じるのは、あまりに浅はかであるような気もする。

表現者とは何か、あるいは表現するとは何かということを考えるとき、僕は米林宏昌監督の映画「思い出のマーニー」を思うことがある。この作品では、杏奈とマーニーという二人の少女の、夢ともうつつともしれない世界での奇妙な交感を軸に物語が展開される。杏奈が目覚めると消えてしまうマーニーは幻のような存在だが、絵を描くことの好きな杏奈は、物語の終盤で自らのスケッチブックにマーニーの姿を描きとめる。ここで大切なのは、おそらく杏奈がいくらマーニーを描きたいと願ったところで、もしも絵を描くための技術を持っていなければそれを描きあげることはできなかっただろうということである。杏奈が絵を描く技術を持っていたことは、たまたま絵を描くのが好きだったというような、ほとんど偶然のようなものだったろう。少なくとも映画を観る限り、杏奈はしきりに風景をスケッチしているものの、それをあえて杏奈の嗜好以上のものであると推測する手がかりはないのである。しかし、杏奈がたまたま手にしていた「絵を描く」という技術は、結果的にはマーニーという大切な―しかし杏奈が目覚めるといつも姿を消してまう―存在を描きとめるために必要な条件であったわけである。ここにおいて、杏奈にとっての「絵を描く」行為がなにか運命めいた、のっぴきならない行為へと転じる。杏奈がその後絵描きになるのかどうか、僕にはわからないけれど、たとえば表現するということはこういうことではないかと思う。

さらにいえば、「俳句甲子園に参加したい(することになってしまった)」から「俳句を詠む」という論理に対する批判は、その批判のしやすさが、その批判自体の危うさを示唆しているように思われてならない。「俳句を詠む」ということを前提としないこの論理と、またそれを支える(あるいはその論理によって体現される)倫理は、それはそれで軽んじられるべきものではない。いわば「なぜ俳句なのか」と問うことなしに俳句を詠むという行為の背後にある倫理は、どこか軽薄さをはらんでいるが、その倫理を肯定する者を、その軽薄さに気が付かないほど愚かな者であると見なすのはやはり間違っているように思う。むしろ、その軽薄さを補って余りある―あるいは、その軽薄さに気づけないほど切実な―別の倫理が彼らのうちに強く働いていると考えるべきではなかろうか。たとえばそれは、大切な友人との関係を重視するとか、俳句そのものに興味がなくても俳句甲子園というイベント自体に楽しさを見出しているとか、そういう一見他愛もないような倫理が彼らを突き動かしているのかもしれない。そして、それを否定する筋合いが僕らにあるとも思えないのである。

いずれにせよ、俳句甲子園は高校生限定の大会であり、そうである以上、必ず終わりがやって来る。どのような理由であれ、俳句甲子園に携わった者は、高校三年生の夏になると必ず分岐点に立つことになる。ここで俳句をやめてしまう者は決して少なくない。それはそれでいいと思う。

しかしその一方、俳句甲子園が終わってしまった後で、それでも俳句を書き続けることを選ぶ者もいる。俳句甲子園経験者の知り合いが決して多いとは言えない僕だが、彼らがどこか屈折した思いを語るのを―ごくたまにではあるが―目にすることがあった。その口調が、終電に乗り遅れてしまった者の奇妙な静謐さに似たものを持っていることに気づいたのは、ごく最近のことである。

根本敬は『因果鉄道の旅』(KKベストセラーズ、一九九三)のなかで、五〇〇頭の犬を保護する男性を紹介している。保護施設の劣悪な環境ゆえにその男性はむしろ周囲から非難の対象と見なされているが、それでもこの事業をやめることのない彼は次のように語る。

「エサが終わると全部いちいちこうやって洗ってるんだよ、ぴかぴかに。
でもわざわざこんなの洗剤使ってゴシゴシ擦る必要ないんだよ。
 水でちゃっちゃとやりゃあ、それでいいんだよ。
 こんな事無駄な事だと思うだろう」
「え、いやまあ」
「そうだよ、無駄な事なんだよ
 でもやるんだよ!」

 俳句を詠み続けようと思うと、お金も時間もかかる。俳句は短いから時間がかからないとか、ノートとペンだけあればいいとかいうのは嘘だ。得るものもあるが、失うもののほうがずっと大きい。むろん失うのはお金と時間だけではない。僕はときどき自分のノートを見返して、失ったものの代償がたったこれだけかと思い、ぞっとすることがある。俳句のことは好きだけれど、最終電車できちんと帰るような適度な付き合いかたがどうしてできなかったのだろうと思うことがある。明け方まで俳句について考えていて、結局は無意味だったと思うことがある。俳句よりも大切なことがこれまで山ほどあったのに、どうしていつも俳句なんかに拘ってしまったのかと思うことがある。しかしそんなときに、「そうだよ、無駄な事なんだよ/でもやるんだよ!」という言葉に突き動かされもするのである。たしかに終電に乗り遅れたのは失敗だったし、その後の真夜中をどう過ごしたところで無駄かもしれないけれど、それでもこの真夜中にもう少しい続けたいとも思う。

そんなことを考えていたら、福田若之の次の文章に行き当たった。終電を逃した後の真夜中の時間は、もしかしたら、福田のいう「困難」を乗り越えるためにあるのかもしれない。

青くなり、やがて白んでいく明け方の空を眺めながら、「あたらしい」とは、単純に、この感じのことをいうのではないかと思う。
となると、あたらしさは毎日感じうるものなのであって、未曾有のことがらに対して抱かれる何らかの感じのことではないということになる。
日々繰りかえされるあかつきが、それにもかかわらず常にあたらしいのは、あかつきというものがかつてなかったからではない。それは、繰りかえされるあかつきのうちで、このあかつきはかつてないなにかであるということを感じるからだ。そして、それはこれからもない。二度とない。あかつきは、つねに、このあかつき、という感じを否応なしに抱かせる。そして、その感じを僕はあたらしさとして感じてきたのだった。
あたらしいとは、時間のなかでのかけがえのなさを感じさせることをいうのだろう。このかけがえのなさはあまりにもありふれているから、僕らの感覚は麻痺しがちだ。かけがえのないものはありふれているが、かけがえのなさを感じさせるものは多くない。あるいは、かけがえのないものはありふれているが、僕らがそのかけがえのなさを感じとることには困難がつきまとっている。だからこそ、言葉が、誰かに、あたらしいものとして届くためには、その困難がなんらかのかたちで乗り越えられなければならないのだろう。(「あたらしいということ」『ウラハイ=裏「週刊俳句」』(2016・3・1)http://hw02.blogspot.jp/2016/03/blog-post_1.html)

福田もまた、俳句甲子園が終わってしまった後で、それでも俳句を書き続けることを選んだ一人である。

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