Noblesse Oblige

umimamさまのおばあちゃまの話。

https://note.mu/unymam/n/nd6d151615e2f

とても良い話であり、斯く在りたいですよね。

そんなこと言ってたら出し抜かれるとか、

自分が割を食うとかってのは、はっきり言ってさもしい発想だと思ってます。

いや、もちろん露骨に騙されるのとか

搾取されるのを看過せよと言ってるわけじゃないの。

ただ自分が人と接するときは、そのような卑しさを出すなってことですよ。

それは心の有り様であり、

それが形となって顔や所作等外面に表出するからね。

もちろん必ずしもそうはならないかもだが、

今はそんなことを話してるわけではないから。

 

さて、このような行動規範をもう少し突き詰めていくと、

善行とかそういう判断基準ではなく、

「為すべき時に為すべき事をする。」

この部分がとても重要なことなのではないかなーと私は常々考えてます。

私もどちらかというとuniさんのおばーちゃんタイプです。

でも、人が見てる見てないは関係なく善行を…ではなく、

「為せる人間が為すべき義務」と理解しているのですよね。

簡単にいうと最低限の社会生活を営む上での

セーフティーネットが正常に機能するように…

位の感覚しか持ってないのです。

だから「優しい」や「いい人」という評価は全くそぐわないと考えてます。

いや、ひょっとするとおばーちゃんは孫娘に解り易いようにするために

あのようなお話にされていたのかもしれませんがw

他人に配慮できる人間って要するに自分に余裕があるから、

その余剰部分を他人に対して使うことができると思うんですね。

おいおい、そりゃお前の余裕自慢かよ?って話をされると

もはやどうしょうもないレベルだなとしか言いようがないんですけどね。

この程度が「自慢」に感じられるなんて安上がりですなwとw

「共同体」に生きているという意味をよく考えろと言いたい。

金銭的に余裕があればおごる気にもなるし、

機嫌が良ければ他人にも優しくできるでしょ?

いや機嫌が悪くても、目の前で子供がスっ転んで泣いてたら

手を差し伸べようかな?位の気にはなるでしょ?

そんなんの延長線上位に考えて下さい。

 

だから、まぁ、言いたいのは、

「今その時、己ができる立場にあれば、それは最早己がやるべき事」

なのだと思ってくださいってこと。(立場とは精神的、物理的意味において)

据え膳…いや、失敬。

つまり、強制力のない義務位に考えれば、

それ程深く考える必要はなく身体が動きませんかね?

「偽善者ぶりやがって」等という稚拙な誹りも気にならんでしょう。

いや、よしんば気になるとしても、

その行為により助かる人や喜ぶ人がいればプラスマイナスゼロか

ちょっとプラス位の気分にはなれるのでは?

そして自分は「為すべきことを為した」わけですから、

義務を果たした事に感謝された、されなかったなどの

感情の起伏に支配されることも少なくなるのではないかしら?

「別に当たり前のことだから感謝される筋合いはないです。

 でも私はできる立場にいましたので事を為しました。

 それがあなたの助けになったのであれば幸いです。」ってね。

そしてその行為が必要ではなかった場合、

例えば「余計なことするな的」な対応を受けても

「義務が発生したと思ったけど、違ったわ。ははは。」

位に考えればスルーしやすいのでは?

「親切」しようとして「断られた」ら頭にきますよね。

でもそれって目線が「親切をしようとした自分」にしか向いてないでしょ。

積極的にでも配慮しながら介入しましょう。

でも押しつけがましいのはダメですよ?

そして無理をしてやるものでもないのです。

自分の余剰を他人に差し出すだけですから。

 

でも、これで世界が良くなるとかそんなことは考えてませんよ?w

これをすれば得をする、損をするというような話でもないです。

じゃあなんなの?って?

そんなことまで人に聞こうとするなよw

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